父ちゃんのノコギリ

平成30年6月16日
 まだ夜中なのに55年以上前の私にとっての大事件を思い出し目が覚めてしまった。
 痛くて痛くて、泣いて泣いて泣きまくったことがあったな。
 夕闇の中、荒縄で太い松の木にグルグル巻きにされた子供の私は半袖だったかランニングシャツだったか思い出せないが、両腕に食い込む幾重もの太い縄の痛みに耐え兼ね泣くよりなかった。
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 私のそばには父ちゃんと母ちゃんとばあちゃんがいた。弟も居たかも知れない。

 大人の力で私を縛りつけたのは父ちゃんで、それをほどいてくれるように父ちゃんに言っているのは母ちゃんとばあちゃんだった。
 小学四、五年生だった私は泣くような恥ずかしいことはしたくなかったが大人の力と縄のゴツゴツが食い込む痛みには耐え兼ね泣いて母ちゃんとばあちゃんの助けを求めるよりなかった。
 どれくらい縛られていたのか分からないが、涙が枯れても父ちゃんは許してくれない。途方もない苦痛の時間が続いた。
 母ちゃんとばあちゃんの助けで縛りを解かれた時、一巻き一巻き痛みが和らいでいって涙が止まっていった。
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 父ちゃんにとって、そのノコギリは大事だったのだ。働いて働いてやっとのことで買った細かな造作用のノコギリは当時のお金で二万円だったか五万円だったかしたらしかった。
 それは一人前の職人が繊細な造作仕事だけに使う道具で目が細くて薄く鋸を真っ直ぐひける腕前の者だけが扱えるものだった。油紙に包んで「使うな。」と言われていたそれを、よく切れるので時々こっそり使っていた私に災難がおきた。ポキリと折れた。 
 「ばあちゃん、折れた。」
「だいそうどうや、父ちゃん帰ってきたら謝るがやぞ。」

 半泣きで謝ったけど、だめだった。
 あの時の父ちゃんは怖かった。
   
 今では松の木は切られて無く、
 父ちゃんとは別れて18年がたつ。


 その折れた鋸を父ちゃんは捨てずに折れたまま長く使っていた。
 父ちゃんにとってそれは私との大切な思い出であったのかもしれない。

 その鋸は何年か前まであったような気がするが、どこかへいってしまった。

 こう書いている私の目が涙で溢れた。
 父ちゃんに会いたくて。