アイスキャンディ

8月10日
2018年の夏、昨日漸く雨と言っていいものが少し地面を濡らした。一ヶ月に届こうというくらいの
晴れ 晴れ 晴れ 
毎日毎日の水遣りがないと野菜はすぐ枯れていく。半日で畑の土は表面がカラカラになった。この2日、曇り、若干の雨でやっと水遣りを休めた。

暑.い!・・・・・・・・
真夜中にパカッと目が覚めて冷蔵庫の小豆バーを取り出す。早い話が、しるこを凍らせたものだ。
 だが、それは今も販売されている趙ロング商品だ。
 深夜の静寂の中、小豆バーを舐める。
 ・・・・・・・ なぜか、こんな時は昔のことが頭に浮かぶ  ・・・・・・・・

自栄亭の小豆キャンデ
鐘なりキャンデ
里帰りキャンデ
再び出会うことの無くなったキャンデのことを

(若いときによく食べた井村屋のたい焼きアイスというのは?今もあるのだろうか?)

自栄亭
夏休み、紡績の交代勤務の母ちゃんが早番の時や、日曜出勤した現金のあるときは、たまに自栄亭の細長い小豆キャンデを買ってきてくれた。自転車で帰る2.5キロの砂利道で溶けない様に新聞紙で何重にも包んである。新聞を開けば先端が少し溶けてはいるが、中から下の持ち手にかけて冷たい白い粉のふいたアイスがある。それは、それは、待ちに待った嬉しい瞬間だった。
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一本で満足しない私の為、余りのプラス一本があったこともあった。










キャンデのおっちゃんの鐘がなり
カラン、カラン、カラン と我が家の角でがなるときはキャンデのおっちゃんが来た合図だ。私は家に飛び込みバアちゃんにいう、「10円ほっしい。」
多分キャンデーは5円だったと思うが二本が欲しいので10円なのだ、そんなときバアちゃんは弟の分もと15円はくれたと思う。行けば近所の子供4,5人は集まった。自転車につけた氷のアイスボックスから白、赤、黄色のキャンデが出てきた。どうして溶けないのか私は不思議でしかたがなかった。
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中学生の頃だったと思うが、アイスのおっちゃんの奥さんが私の家に立ち寄り、別れの挨拶に見えた。娘と一緒に家を出るのだった。今でいう
家庭内暴力らしかった。娘の給料をおっちゃんはとるらしかった。 当時走っていた加越線に乗って本江の駅から金沢かどこかへ出ていかれた。最後に我が家に立ち寄ったのは何故だったのだろう?

それからもカラン、カランの鐘はなった。そのうちおっちゃんは来なくなった。冷蔵庫の時代になったからだったかもしれない。やさしいおっちゃんだったのになあ。


里帰りキャンデ
お盆に母ちゃんと里帰りする時は津沢町を通り抜ける。その時は小豆キャンデをねだった。里迄は五キロの緩い坂道。夏に歩いて行くのだから暑い。アイスキャンデは私にとって欠かせない。
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少し形は違うが自栄亭のキャンデの様に長いキャンディだ。一年に一回の待ち遠しい甘冷たさ。

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自栄亭のキャンデも 鐘なりキャンデも 里帰りキャンデ も今ではたまに思い出すだけの幻影のようなものだけど、それには今の私の心を潤す湿り気があるのだ。