ヨイトコラチョンデ

ヨイトコラ~ チョ~ンデ
ヨイト~ チョンデ
ヨイトコラ~ チョンデ
ヨイト~ チョンデ
・・・・・・・・!・・・・・・・!!・・・・・・・・・

 小学4,5年の頃我が家は改築された。家を持ち上げ、床板をはぐり縁の下の基礎をやり直した。母方の叔父、清市がその仕事をした。

 現代の様に、鎮圧機でダダダと石を打った後、コンパネ型枠に生コン車から生コンを流し込むので無く、当時は二人で大きめの木塊に4本の持ち手棒をつけた道具を二人で調子を合わせて鎮圧したあとで現場でセメントと砂と石に水を加え、スコップで混ぜ(ミキサーだったかな?)、それを一輪車で運びスコップで型枠に隙間なくつめていくという作業だった。
 冒頭に書いたのは二人の調子を合わせる為に作業しながら歌われた歌だ。他の歌詞は覚えていないが、その単調なメロディーはたまにふと甦ることがある。
 職人だった父ちゃんは、流行歌を歌いながら仕事をしていたが(三橋道也とか春日八郎とか村田英雄とか・・・・・)
ヨイトコラの歌はそういうのとは異なり労働歌というものだったのだろう。
 少しばかり哀愁を帯びて、日々の暮らしの辛さが沁み出すような感じがした。
 筋骨粒々とした私のおじは延々と鎮圧の作業を続けた。
 真っ黒に日焼けした大男。
 母ちゃんは時々そんな兄のことを親愛の情を込めて「黒くなりて稼ぐ男。」と私に言って笑った。
 シベリア抑留され、遅く結婚したセイイチおじは70才位で亡くなった。
 おじが歌った「ヨイトコラチョンデ」。
 余計なことは語らず、逞しい男だったおじの心の奥に沈む哀しみの音のように思える。