営農組合の備品

 3年前から地区の営農組合の会計係をやっている。
 
 43年以上前に大型農業機械導入のために設立された機械管理組合で近年各地に設立された法人化された営農組合ではない。
 
 保有する機械も減少してきている。
 
 その中で、現在も活躍している2台のトラクターがある。
 フォード社製である。
 よくこれほどまでもたせたものだと思われるくらいに長寿命だ。もっとも最近は負荷のかかる働きはしていないが、まだ動くこと自体が多くの先輩達が大切に扱ってきた証左であろう。
 
 木製のガラス戸を明けて事務所に入れば、
(恐らく今の若い人は とても事務所と呼ぶに値しないと思うだろうが・・・)
置いてある戸棚にはこの地にかつて活躍した大先輩達の若き日の写真があり、当時の景観を写したものが数枚ある。
 
 そこには、現在、平坦で碁盤目状に舗装道路が通じ、遠くまで見通せる環境が至る所、森であったり林であったりしたことがわかる。自然の側から見れば 営農組合は 強烈な自然破壊の拠点だったのだ。
 
 農業は自然破壊で成り立つ。人が生きていくうえで、それは仕方のない部分がある。しかし、それが惹き起こす数々の弊害が露になった今、これを少し戻していくことが必要なのだ。しかし、人々の心はまだそっちを向いていない。便利と効率の魔力に陶酔しているからだ。どうも、まだ少しの時がいるようだ。
 
 事務所の机と椅子は当時、町村合併で余っていた旧村の役場のそれを使ったという。
 すると置いてある机は最低でも 50年近くは たつ。
 さすがに椅子のほうは布が破れクッションがとれているが机のほうは全く狂いがない。
 抽斗はスムーズに動くし、面は真っ平である。接合面は隙間なく、人間が座ってもびくりともしないほどの頑丈なつくりである。
 当時のものつくりの職人の技と心意気、良質の素材 が半世紀たっても汚れを上手に取れればどこの家具屋の店頭でも一級品として陳列できるのではないかと思うほどである。
イメージ 1
 
壁際には黒電話。懐かしの昭和がある。こんなのとても更新する気にはなれない。ジーーッ と戻るときの感触、0番をまわすときの感触はプッシュホンや携帯やスマホでは味わえない 生きてる感 を味わえるのだ。
イメージ 2
 
 時を経て離農する人が多数となったいま、当組合の歴史は終わろうとしているかもしれない。そういう時にかかわりを持つことになった事に複雑な思いがある。