水の村に住む  本江 西島 春の慰安会

 平成25年2月18日
 富山県南砺市にある本江地区。奈良時代庄川が流れていたという場所。
 古くは本江村。
 想像だが その昔は川の中州のような場所。そこが島のようになっていたのだろう。
 本江村の地名には 東島 西島 砂田島  ・・・ と がつく。
 砺波市小矢部市あたりには島のつく地名が多く 五郎島 だの 狐島 水島 胡麻島   だの というところがいくつもある。
 庄川が数万年、数十万年、さらにもっと古いのかもしれないし、意外と新しいのかもしれないが東、西へゆれて 土を運び 高低差を とり 地球の 土木工事を やって今では 遠く 砺波平野の 東を流れている。
ヒトは これ以上暴れないようにと 堤防を築き 今では 人間がいる限り
 庄川が自律的に この平野を 地球の力学的な 道理に基づいて均すことは起きなくなった。
 しかし、このように川の流れを規制したことは 数千年、数万年の期間で見れば 地殻の内部の力のバランスを狂わせることなんだろうなとボンヤリと思う。
 しかし、その庄川の堤防あっての水の恩恵を普段思うことなどない。あまりに当たり前なのだ。
 
 私たちの本江村で 水の不足することは全くといってない。それが当たり前だと、皆、川を忘れている。
十数キロ離れた堤防によって守られていることを忘れている。少しばかり、いやもうちょっと先の遠い未来の子孫達にツケを残しながら、私たちは庄川を砺波平野の東に釘付けにして暮らしている。
 つい最近まで先祖達は そこで コメを作り 生きてきた。
 
 今も 米は このムラの 農産物の殆どである。しかし、離農者もふえてやっているものも高齢となってきた。
 豊かな水の恵みは それを知って いる 者も 少なくなってきた。
 多くは、
 もしかしたら 自分はこの村で 最後のコメを作る百姓かも知れないという思いを胸に持ちながらも
 少しの希望を持って生きるおじさんや爺さん達(心は二十歳の青臭い小僧)
 いまでは 百姓でない者 にとっても 
 移り住んできた人にとっても  車社会でなかなか顔合わせできない。
 
 同じ場所に暮らしているのだから  時に喧嘩しても 幼児のように仲直りでき  余り争わず  互いを思いやり 暮らしやすい場であるように
時々は 顔合わせし 理解しあい 心通わせられるなら それが いいのではないかと私は思う。
 
  たぶん そういうことからであろう
  本江 西島は 昔から 二月に 春の慰安会 と いう名で 温泉で宴会をやることにしている。
今回は庄川堤防の元にある 川金(かわきん) という温泉旅館で ありました。(2月16日)
 
 近所の 小さな 話題カラ アベノミクス エネルギー コメツクリ キタチョーセン ゲンパツ
                  ガンの病  ノーキョー  TPP ・・・・
 しかしこの日はなんといっても  雪 を 見ながらの 雪見酒
 
 この時期 雪の地方だけに ある ちょっと 優雅な 宴会です。
 大都会では 味わえない よさが あるのです。
 
 何にもない 寂れた地方の ちょっとした贅沢気分です。
 
ここのところ高齢化も手伝って参加者が少なめである。
でも そこには 金だけではない そこに暮らす 目に見えない つながり 絆 というものが 確かにある。
 
恒例になっている お姉さん たちに来てもらったので ちょっと 会費は高めになったが まあ いいか!
 
 許せ かあちゃん