番長

総合高校 
45年前  私が通った高校は  明治時代後半に創立された農学校が 戦後、総合高校となった田舎の 長ーい  歴史のある学校。生徒数1200名以上のマンモス校であった。
 そこには 田舎の勉強のできる部類の人がいる 普通科
 男供を悩ませる家政科
 あとは殆どが男が多い科
    農業系は林産科、畜産科、農業土木科、農業科
    工業系は染色科、食品化学科、工業化学科?
 それと4年生の
 定時制通化と 併設農業科(併農と呼んでいた。)
 併設農業科の生徒は田植えとか稲刈りの時期は家の仕事をすることになっていた。
 
番長
 新入生のとき怖ーい先輩が何か言うかびくびくしていたものだった。

 そんな私に入学して間もないころ、同級生でよく喋るのが教えてくれた併農4年の Oさん。
 当時、番長であった。
 大きな体で、横綱の輪島みたいな顔で廊下を歩くときはまっすぐ前を見て、ゆっくりと王様のようで、左右の後にはやはり大柄の二人がついて歩いていた。
 それはそれは近寄りがたい存在であった。
ワルから議員
 4年ほど前、同級生幾人かで集まったときに、m君が言う。
「高校時代の番長、覚えているか。あいつ今度議長だ。」 
何のことかと思ったら OさんはT市の自民党市会議員をやっていたのだ。
 (T市は県内有数の市。)

 世の中は面白いものだ。OさんはT氏では来賓として小学校や中学校、高校で生徒の前でのたまうであろう。
 其のとき何と言うのだろう。
 「俺は高校時代、名うてのワルだった。それでも何の心配もイラン。こうやってちゃんと生きてるやないか。みんな、勉強は暇つぶし程度でやってろ!之から大事なのは度胸や、体力や、食いついたら離さん根性や、女遊びは行き過ぎたら飽かん・・・。」
 と言ってればおもしろいのになあ。

 しかし、票をもらう立場はそうはいかんやろな。
 心にも無い事言っておかなならん。おそらく
「君達は今日から次のステップを目指してよく学び、そして先生方の教えを深く心に刻み・・・・・・・・・。」と言った感じになるのだろうな。
 
 m君の話を聞いて、そういうことを思ったのだった。

新聞記事
 老眼になってから新聞は死亡欄と野球くらいである。今朝の新聞をいつものようにパラパラとめくると T市 自民党議員団のことが書いてあった。いつもは見出しを斜め読みする程度なのに、今日は読んでしまった。一部始終を見ると二派に別れた根深い対立のようでなかなか修復できないらしい。
 両派の括弧でくくった代表者の名を見ると、其の一方の旗頭がOさんであった。
 T市民では無いのでなんとも言えないが Oさんは 今でも番長なのだなと 思った記事だった。

 もって生まれた魂と言うものをOさんは 持ち続けているのだなあ。