運動は苦手

100メートル競走

 子供が育って保育所(最近は保育と呼ぶようです)へ行くと運動会がある。
 学校というところには必ずこれがある。小学校の2、3年生くらいで100メートル競走になる。学校にもよるだろうが4から8人が並んでヨーイ ドンだ。

 これが年に2回くらい。私が中学校へ行ったら陸上競技大会というのがあって100メートルだけでなくそれに加えて男は200メートル競争というのもあった。死にそうになってゴールするときはすぐ後ろに次のグループが迫っていた。
 高校までは100メートル競走を走ることは  義務のようなものだ。
 鈍足の者は高校まで10年間、これを味わう。
 思春期ともなれば運動ができないことは男として決定的要因のひとつだ。これがなかなか少年には重たいことであった。

 それがあって、小学校のとき、運動会の日は学校が嫌で仮病を使ってみたりしたが、ばあちゃんに見透かされて一度もその日は休めなかった。いつもケツになる悲しさを毎年やってくる逃れられない 惨めさを、誇らしげに一等賞の或いは2、3等の 小さな札をもらう同級生は分からなかっただろう。
 いやケツから2番のヤツにも分からないことであった。あさましいことだが、せめて俺より遅い奴がいてくれないかと何度も思ったものだ。

 さらに運動会では、私の弟もまたケツを走る。同級生に弟がケツを走っていることを告げられたりして私は赤くなり、そして誰からも見捨てられたような存在の自分が小さく小さくなっていくのだった。
 父は母に「お前に似てみんな鈍足や。」といって悔しがったように覚えている。

 その記憶がなくなることはない。とても悲しい少年時代の思い出だから

 ところが私の息子と娘は全く私のDNAを受け継がなかったのか妻に似て快速の持ち主だっ た。そのことで少し溜飲が下がったが、運動会で息子のずっと後を走っていた最後の子の姿が私と二重写しに重なって見えた。
 
 そして、それも、ずっと昔の思い出となった。今は鈍足のおかげで耐え忍ぶ力が付いたのだと思うことにしている。[晴れ] のち [雨]