Mリンとアオ〇〇さん

かぶら
 昨日、風邪気味の母ちゃん(母81歳)が蕪(かぶら)寿司にするかぶらを10ほどとってこい というので畑へ行くと、しばらく見てなかった蕪が 今まで見たこともない大きさになっている。
 そう、普通はソフトボールの球くらいなのだが 南瓜ほどのが10個ほどある。普通より小さめなのがいくつもあるのでその大きさが際立っていた。
 5つほどで持って行ったプラスチック製の桶が一杯になってしまった。腰痛もあってそれだけにして持ち帰ると。母ちゃんもその大きさにびっくりしたらしく 「ことしのMリンもいつもと同じほどしかやってないのにこりゃどうしたがやろ。」と言って笑った。

こんじょよし

 母ちゃんは畑の肥料に、よくMリンを使う。これがなかなか優秀な肥料らしくよく育つ。もちろん母ちゃんの腕前があってこそだが。
 それを教えてくれたのは近所のアオ〇〇さんだった。
 今はこの地にいない人だ。豚もおだてりゃ木に登るというが、アオ〇〇さんは木に登る人であった。
 酒も好きで時々我が家へも立派な酔っ払いとして遊びに来た。 かれは典型的なコンジョヨシ(根性よし;お人好し)であった。
 それが災いとなった。
 15年ほど前、彼の平凡な日々が暗転した。借金で一家離散。どうも友達の保証人かなんかになったことが原因らしかった。

 ジュンコ
 彼の末娘ジュンコは私の娘と同級生でよく我が家へも遊びに来た。大変なしっかり娘でうちの娘などはいつも金魚のうんこのようについて歩いた。ジュンコが中学校の時に父が失踪、ジュンコはその母といなくなった。
それ以来ずっと娘あてに住所無記名のジュンコからの年賀状が届く。ジュンコは3年に2回くらいは我が家へ土産を持ってふらっと来る
 そして私の母に「父ちゃんに会いたい。」といって帰る。
 
 今年、母ちゃんの知人(アオ〇〇さんの親戚)が遊びに来た時に アオ〇〇さんがそのウチを訪ねてきたと話した。涙を流し、仕事で近くまで来たので懐かしくて親方に頼んでちょっとの時間をもらったのだという。
 年老いて面影もなくなっていたという。
 
 あの時からの日々はどれほどの辛酸の日々であったろうか。彼が今どこにいて何して食っているかは知らない。
 最近、娘にジュンコから来年結婚して静岡へ行くと連絡があったようだ。せめて、その花嫁姿を彼がみられることを願うばかりです[たらーっ(汗)]