ミヤジマ君を想う

一年
 ミヤ〇君が死んだのは一年前。
 忘年会のかえり、酔って自宅前の用水に倒れ亡くなったという。
 私は翌日の新聞の死亡欄で 名前も年齢も住んでいる場所も似ているのにまさかと思ったことを思い出す。

 だが通夜の祭壇の遺影は間違いなく 親友ミヤ〇であった。
 私は写真の前で焼香をしながら思った。 
 「さいなら、まってろな俺も直に行くからな。せめて、あと少し待っててくれたら俺と忘年会できたのに。」

光るもの
 ミヤ〇くんはビッコであった。幼いころに病気になり、命を救うために足が障害を受けた。19歳の時、はじめて会った時は
 ・・・ びっこで 顔は不細工 百姓丸出し 標準語はしゃべれぬ付き合いたくない奴の ベスト3だ ・・・・くらいの思いであった。
 しかし、一年もすると彼の人間的な魅力はその周りの多くのものを惹きつけるのだった。
 そして、私もまた同じ思いであった。最初は県で一、二の囲碁の打ち手ということであったが、頭もよく、運動も走ることを除けばバットを握ればホームラン、卓球すれば屈指の腕前と驚くばかりであった。

 しかし何よりもその素朴な人間性、多くの人の悲しみを覆ってしまうような広い心が一番であった。
 豊かな才能を奥に秘めながら決してそれをひけらかすこともなく、出世とは縁遠い人であった。
 有名な西郷隆盛を評した言葉に
  「大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さく響く。」というのが当てはまる人であった。
 また
 囲碁には置き碁というのがあるが 上手と下手がともに楽しめるように下手が石を置かせてもらって
打つやりかただ。彼と対するときは上手と対する下手のように同じ土俵で楽しむことができた。
  ミヤ〇君は囲碁から心を学んでいたのかもしれない。
                     
笑顔
 彼の葬儀は多くの人であふれた。金も地位名誉もないただのビッコの爺に大勢の人が別れを告げにやってきた。それは深く彼の暮らした日々につながっていることだろう。沢山の人々の心に温もりをもたらしたその男に私も心を洗われてきた。

 一年たった今、年を取らなくなったその笑顔が私の胸に住む。 
 それに私はにっこりと笑顔を返す。誰もいない部屋に一人いて。[三日月]