とうちゃんの道具

父親のさびしさ[眼鏡]
 とうちゃんが死んで12年になる。私と とうちゃんは 水と油だった。
 父親にしてみれば息子が牙をむいて自分に向かってくるのは悲しいものです。
 私と父とには そういうことが よくあった。そのうち とうちゃん を無視することが多くなった。
 それがどれだけ寂しいことか  自分が息子を持つ とうちゃん になってみないと分からないものです。
 父親は そりゃあ、母親のように 無条件に息子に肩入れしない。しかし、時々、息子を思うて
なんでもないときに涙がとめどなくながれて どうしようもないことがあるものです。
それが息子には分からないものなのです。
 老いたとうちゃん[もうやだ〜(悲しい顔)]
 とうちゃんが 年をとり 後姿が だんだんと まあるくなって ちいさくなってきた頃に
ようやく 逆らい続けた自分が 情けなくなって そういうちょっとばかり 全うなところが
出て来た頃に事件が起きた。
 とうちゃんが 酒に 酔って ちょっとした 乱暴狼藉を働いたのだったか・・・・・・・・
 それに怒ったわが息子 (高校生くらいであったろうか)が とうちゃんをねじ伏せたことがあった。
 
 かわいがって、かわいがって 人に 自慢して歩いた孫に そんなことをされて

 
 下になって ばたばた やってる親と 上になってる息子 二人を分け 息子を叱り
 こんなにも 力の衰えた とうちゃんを 目の当たりにして私は悲しくて 悲しくて 悲しくて ・・・・・・。
 私をビンタしたとうちゃんではない。今で言えば虐待に当たるかもしれないが私が生意気をすれば
 そばにある一寸くらいの厚さの板で私を叩いたとうちゃん。
 一本気で、一心太助みたいな男。
 ガキのころから負けず嫌い。謝るのが嫌い。
 強い奴と喧嘩をして かあちゃんに謝らせにいかせたとうちゃん。
 貧乏の癖に 見栄を張って 人前では金払いがよいかわりに 家でケチケチしてたとうちゃん。
 ばあちゃんは お前が 酒をやめたら いい と いったりした。
 それでも
 家族を支え 耐え難きを耐え 忍び難きを忍んできた人
 その時はしかし
 力を使い果たして 小さくなって しまったとうちゃんがそこにいた。
 その夜 息子はどう思ったかは知らないが 私は悲しかったのです。
 多分、その事件の頃から 私は 父に優しい 者になっていったのだと思います。残念ながら
それからはあまり長くは無かった。
 とうちゃんが自宅の板張りをしていた時に弟夫婦が姪っ子をつれて尋ねてきた。
 とても楽しそうだったらしい。その翌日に倒れ三ヵ月後に他界した。
 とうちゃんの道具[プレゼント]
 74年の生涯。15で大工の弟子となり60年、残した大工道具。
 ほうっておいては錆びるので それに椿油を塗って保管しておこうと思い 納屋の物積部屋 で
 一人その作業を始めた。
 道具箱にきちんと納められた一本一本の鑿 鉋 は管理が行き届き光沢があった。
 野放図で何でも整理せずばら撒いておく私とは違い、道具は古かったがいつでも使える状態であった。
 
 はじめたとたんに涙があふれた。止まらなかった。とうちゃんの手垢のしみた一本一本を油をつけた木綿
 で拭く度に涙で手が止まった。誰もいない納屋の片隅で声を出して泣いた。この鑿で俺を育ててくれたか
 と思うと涙のほかに出なかった。
 鑿に語りかけた。「とうちゃん、もう一回会えないか?」。
 私は勤め人をやめ
 いまとうちゃんの道具は私が使っている。そんなこと とうちゃんが生きていたら許したかどうか?
 野放図な私は気がつくとすぐ錆びさせてしまう。いくつかの道具は
 使い方が悪く、だめにしたり紛失してしまったが捨てたものは無い。それは私の宝なのだ。
 私はそうしてとうちゃんと共に日々生きているのだ。
 ときどき かあちゃんと 死んだとうちゃんの事を 話す。私にはまだかあちゃんがいる。
 とうちゃんとの思い出を かあちゃんと 話し合うとき 私は幸せの時間です。