農薬、化学肥料の減量

農産品の今
 野菜でも 果樹でも コメ、ムギの穀物でも 生き物であるから  体を作るための栄養と生存と成長のエネルギーを水と窒素、燐酸、カリ、その他多種多様な栄養を 体内に取り込む。
 それが野生の場合それ自身の適応力と幸運にもそういうものに恵まれた環境に発芽した命が繁栄することになる。
  野生の環境下では寒冷、灼熱、乾燥、雨雪霜の気候条件 や  虫、カビ、細菌、鳥獣害、雑草との競合等の天敵の脅威を上回って繁栄するが
 
 人が都合(利潤のため)で植えたり、播いたりした農業産品となると生育環境は人が作り出さねばならない。しかも野にあってはありえない純粋種の広範囲な密集環境を。
 それ故、人は自分が育てる農産品の
 生長のエネルギー源を化学肥料に求め、
 病気にならぬよう殺菌剤、殺虫剤を用い
 光りの確保と 栄養の確保を独占させるために 他の草の発芽生長を阻止する除草剤を用いる。
 あわせて用水を引き自分の都合で水を引き排水したり、日照や気温や風の影響をハウス内で育てることで自在にし、虫媒花にはハウス内にミツバチを放したりして環境を操作する。 又、収穫を簡単に行うために碁盤目に道を引く。
 そうして 産地と呼ばれるところには整理整頓された田畑の景観が広がることになり、雑然とした一見統制の取れてない見苦しそうな景色は概ね一掃されている。そこにはその地に自然に見られる光景は大抵、隅や縁にぽつんと あるいは 小さな斑となって残るだけである。だから、町に住む人はそれが緑溢れる農村の 綺麗 な 原風景だと思っているかもしれない。
 そういう場所から、誰もが 食べている おいしくて みかけも綺麗で 買いたくなるような商品が出来上がるというわけだ。
限界
 農産物は村を出て実際のスーパーの店頭に並ぶときには、内に、それぞれ個別の成分は微量とはいえ多種多様な薬品を取り込んでいる。それを人は取り込んでいてそれが毎日摂取されることになる。
 その影響は私のような素人には分からないが ヒトの体にいい影響を与えていることはないだろうと思う。それは必要悪といえるものとして扱われ、国家が基準を設けて法の下で規制し度を越さぬよう仕組まれている。
 しかし、それだけではない。散布された様々な化学肥料や薬品は食品中にすべて取り込まれるのではない。 むしろ大半は、人間の手によって回収されずにただばら撒かれているだけである。
 自然の生態系においても、そのような物質はあるかも知れぬが 生態系の自己修復の内にあったであろう。しかし今では分解は 追いつかず 自然界で化学変化し、大気中に放散され、地中に浸透し、コンクリートの用水をさっと流れ大きな川や海に流れ込む。 毎年毎年、飽くことなく繰り返される。その影響ではないかと疑われる事例はいくつもある。
 ミツバチが居なくなったとか
 赤とんぼのいない秋とか
 ハエなんかも非常に少ない。
 天然記念物トキは、かつてあっちにもこっちにもいて人間にとっては少々迷惑でさへあった鳥であろう。それが絶滅し、中国からもらって再び復活ということで大騒ぎしているのは何故であろうか。ほのかな朱色を帯びた美しい鳥であるからであろうか。これがカラスであったらどうであろうか。カラスも日本に10羽しかいないということになれば、みんなカメラを持ってとびまわるのだろうか。
 生態系は人もそのシステムに組み込まれている。
 ミツバチがいなくなることが何を意味するか、赤とんぼがいなくなることが何を意味するか、もっと微小な私達の視界に入らぬカビ、細菌、原生動物、小さな水生昆虫・・・ のいくつもの種の絶滅は何をもたらすか。そういう部分的かもしれないが、ある生物種の絶滅とそれが生態系システムにどういう連鎖をもたらすか
 そういうことが分かるであろうか?
 分からぬものに手を打つことは出来ない。
 それにもかかわらず一方的に大量に科学の産物を私達は大気中に、地中に、水中にばら撒いているのだ。        
 いかな科学の成果といえど我々の対象は常に部分的局所的である。実験室的な因果応報の仕組みは生態系という人知を超えた領域の切り取りであるから 部分の真実であろうが、そこから現実の世界で2次、3次、4次、・・・とつながる連鎖のことを分かったというものではない。分かるはずもないことだ。 
 生態系の中で 種の衰退、絶滅がある限界を超えたとき、それは一気に激流となって人そのものの生存にかかわることになるのではないかと思える。いつかブーメランのようにわれらに返ってくる。いずれ絶滅危惧種ホモ・サピエンスということになる。
 それでも、私達が何事もなく人類の繁栄を送りおおせているのは生態系のシステム連鎖が人類に関わる部分に対してはまだ自己修復性に余力を持っているからで、それは、ただの幸運に過ぎぬのでないかと思う。しかも自らその自己修復力を破壊することばかりを続けている私達は真っしぐらに破滅への道を突き進んでいるのかも知れない。
 
農薬、化学肥料減のくらし
 採集狩猟生活というのが最も生態系のしくみに合致した生き方であろうが今日ではそうも行かない。
 しかし、生態系システムを撹乱していく化学肥料と薬品漬け農業は大きく抑制しないと私達に続く世代にツケをまわすことになる。
 現代の経済はしかし、ほんの一部を除きそういう農法を成立させない。 経営が立ち行かないのだ。農産物を買う人が 安くておいしくて見た目も綺麗で一年中を通して食べられるということを求めるゆえに手間などかけられないし季節を超越しなくてはならない。
 真冬にコタツでイチゴを食べ
 
虫食い痕のあるトマトは捨て
 蜜の入った甘いリンゴを求め
 必要以上に仕入れ 売れ残りは大量に捨てていく

  そういった生活と農業の方法は けっこう 関連がある。それを少し変えていくことで農薬と化学肥料の垂れ流しを抑えることが出来る。冬は昔のヒトのように干物、乾燥保存のもの、発酵保存食品の力を借りることは大切なことではないだろうか。
 それから農産物の無農薬であることに買う人が敏感になってもらえないだろうかということである。
 殺菌剤も除草剤も殺虫剤も 本来の自然環境では無いものである。
 殺菌と殺虫は生態系の食物連鎖の中に解決を見出すことが出来る。
 実を食う虫を好物とする捕食者が自然の中にいる。本来自然はそのようになっているのだ。
 
 又、除草は物理的除草(草刈り)をすべきだ。時には除草をしないほうがいい場合だってあるのだ。リンゴ農家、木村秋則さんのリンゴ園の記事を見るとそうなってるようだ。多少見栄えの悪いものになったり値段も高めになるかも知れないが農薬を垂れ流すことで惹き起こされる目に見えない弊害を減らすことが出来る。
 多少高くても、無農薬のものを買う購買行動が除草剤の使用を抑えることにつながるのではないだろうか。除草剤は草だけでなく多くの動植物にとっても毒である、そういうものを撒いてよいはずが無い。
 もちろん百姓が心がけを持つことが大事であるが、心がけだけでは続けることが出来ない現実がある。購買の流れをかえることがそれを支えることになる。
 そうしてミツバチや赤とんぼが帰ってくる農村が広がることを望みたい。[かわいい]