出勤は下駄はいて

40代はじめの頃、私はS社のもの作りの現場に配属になった。そこにTさんは働いていた。
その当時、何歳だったのだろうか私より若かったのだろうが、年上かとも思った。彼女は独身で出もどりだということであった。見かけは小柄で細身、赤ら顔で少々猿ににていた。甲高い声で、物怖じせず、敏捷に動き 仕事は一生懸命する人であった。 その特徴やしぐさなどから工場の中ではちょっと知られた存在であったかもしれない。
 その工場は高度成長期の初め頃 農工一体とかで田圃の真ん中に広い農地をつぶして作られたのであり、自動車通勤が当たり前であった。しかし、彼女はおよそ5キロほどの距離を雨の日も風の日も雪の日も自転車で通勤している。しかも、始業のサイレンちょいと前に守衛前を自転車で駆け込むのである。冬に雪の中を裸足で下駄履きの足で自転車をこいで駆け込むので時々、話しの種になるのであった。テラ〇〇さんの出勤.jpg
嫁に行った先の男が金目当てで金を持ったまま逃げたのだとも噂されていた。このように彼女は休憩時間の話題が尽きたときには噂のタネにされる人であった。
 工場で年二回行われる期末棚卸し作業は彼女に数えさせてはいけないという内々のお達しまで出る人であった。
しかし、そういう風に思っていた私は、彼女と接してみて大いにあやまっていることを知った。
 当時の課長のmさんは仕事については私の一目おく人であった。
 かれは私に最初に「Tは 3以上数えられないから とか もちろん A,B,Cなど分からんから おんなじ仕事しかさせないようにしてくれ。」 といったのでそうかと思って なるべくさわらぬ神に と おもっていたのだが 
あさのラジヲ体操のときに彼女が話しかけてきた。そう、その日は株主総会のある日であった。
「ねえ、会社もうかっとる?」

 私とコンビの機械の修理をしてくれた若いoyama君にはありがとうといい、
 製品の照合を 「B-18 まで やったから c-7があとのこり 7セット・・・」といった具合に
 彼女は噂とは違って 大抵のことは 一人でこなせる人だと分かった。よく見るとくりくりのお目目もかわいいのだ。
 彼女はよく働いた。2年ほどで私は異動したが 彼女とのやり取りを通じて 仕事や機械は改良されていった。
 作業場の不都合を こうならないか ああならないか と 彼女が求めてきたからであった。
 ひょっとしたら私の相棒の工場一の二枚目oyama君のことが好きであったからかもしれないが???。
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 多くの人がはじめからさせないように仕組んだために彼女は無能な人となっていたのだ。
 そのときから20年余り、2ヶ月くらい前に旧国道沿いの彼女の家の前を車で通った。家は屋敷林で囲まれT市の保存対象になっているらしい。うっそうと森のようになっていた木は間引きされ、昨年修理されたのか西側の板壁が真新しくなっていた。妹と二人ですんでいるというその家の前を通るときは前に自転車が置いてあったものだが、それがなく、家も人がすんでいるとも思えぬ有様であった。
 それからは何度か通ったが自転車はなく既に空き家となっているのかとも思った。なぜか悲哀の残る風情に 方丈記の冒頭の言葉が おもいだされたて私の前を通り過ぎた。
 行く川のながれは 絶えずして しかも もとの水に あらず
 人を思い込みで見 それによって 付き合い方を決め
 共に手を取り合えた心温まるときを失うことは多い
 面倒とか  忙しい とか  非合理的だとか 
 そういった一言で片付けられないところが人との交わりにはある
 Tさんとは 二年間 一日数分~数十分程度の付き合いであったけれど
 その中で 悪意のない 幼児 のような人柄に触れた
 それは 仏の 魂にふれたときであったかとも おもう。