鶏1
五十年位前 (昭和37年ごろ) 我が家の隅(東北の隅)に 鶏小屋があった。
大きさは 6尺の 9尺。
(若いヒトのために補足 一尺は約30.3cm)
向かって左に 灰小屋 右が鶏小屋になっていた。
時々、鶏の餌やりとか 水遣りとかをさせられた。
餌は 飼料であったり 菜っ葉であったり 貝殻をつぶしたものであったりした。
菜っ葉の場合は 畑までいって 手ごろな大きさを取って来てやるのである。
水遣りも 水を入れてさかさまにしてやれば 小さな穴と 同じ高さになると それ以上は出ない。中学校へ行って大気圧というのをナラって ああ!このことだ! と 感動したものです。
私は鶏の世話は好きであった。そのころはどこの家にも鶏がいて子供はみな卵を食べれるので鶏の世話をした。
世話をしていて卵を見つけたり知るとうれしかったものだ。
また鶏が卵を産むときは コー コー コケッコ とやるのでそういうときに出くわしたらすぐ鶏小屋へ行ってまだ暖かい卵をとってきたりした。
鶏は時々砂遊びさせに外へ出した。土をぱっパッとかけて砂浴びする姿見るのも楽しみの一つだった。
のんびりした 風景のようだが
いたち(私たちの地方では トバといいます。)や、猫や、
いたち(私たちの地方では トバといいます。)や、猫や、
今と違って犬は放されているのも沢山いたし野良犬もいたので 鶏にとって危険な環境だったのです。小屋に入れておけば一応安全なのですが 油断なら無いのが 細い体の 蛇といたちです。
とりわけ、蛇は僅かの隙間から進入してきました。そして、せっかく産んだ卵を丸呑みするのです。とりたちは騒ぎますが何も出来ません。鶏小屋には夜、とりたちが眠るために竹の棒が止まり木として渡してありました。高さは1メートル50位はあったように思いますが蛇はそこの上に柱伝いにのぼり 中ほどまで這ってから 自分で落ちるのです。
そうして卵の殻を割るのです。そうして竹棒の上にいるのは何度か見ましたが 自分で落ちるというのは 大人から聞いた話であったかもしれません。
それにしても 上から落ちて 殻を割るというのは 親に教えてもらったわけではないのですから 天賦の才 というものでしょう。
すごいものですねえ
ケージにいれられて卵産み機にさせられてしまったとりたちとは違って危険もあったが 日の光りを浴び 時々は 庭を駆け回り 砂浴びをし しっかりとした殻の卵を産んだ昔の鶏。 もう一度飼ってみようかな。
そう思っているのです。場所を作ることが先ですが。