あしたにするか

 地区の営農組合の 事務会計小使い全般の係をしている。半月くらい前に 組合長から年末までに売上げと支出のまとめと役員会の準備をしておいてくれと連絡を受けた。
 気にはなっていたのだが まだ 畦塗作業とか 肥料散布作業の請求書つくりとか 作業代金の支払い計算をしていなかったこともあって急ぎやらねばならぬとその時は気を引き締めたのだが
 とりあえず 作業とか機械賃借とかは日報との突合せで処理したあと 請求書つくり 収支の中間報告書などは日もあるし まあいいか   と まあ こういう感じになってしまった。
 なんと半月くらい あっという間に来た。  メシ食ってから やるか と 思って 眠たくなる。
これを繰り返し前日になった。
 仕事量からいって仕事を休まねば出来ぬだろうと 休んで 朝からやるつもりが10時になった。
ようやくエンジンがかかった。請求書やら役員会の後の宴の準備やら茶葉の準備やらストーブの灯油準備やら一気呵成?にやった。
 一日半ほど普通時の1.8倍くらいのエネルギーを発揮してギリギリ間に合わせた。
じつは、子供の頃からギリギリにならないと出来ない性格なのだ。三つ子の魂百までというが、私に当てはめれば、
それは真理だ。
 小学校の頃は 宿題を忘れたといって 〇シマ君と 廊下に いつも立ちんぼ 
          夏休みの絵日記は 全部 お日様のおんなじのを まとめて書いたし
 中学校以上では予習復習をやろうと思っても すぐ眠くなった。およそ課題とかレポートなんと言うのはテキトーにすませた。
 仕事というのをやるようになって 初めて そこから脱したと思った。なぜなら そこには強制が働くからだった。期日があり、人と連携の中でやる以上、自分の持ち前でいきては物事が進まないからであった。
 そうやって三十余年。テキパキとものを進める習慣が出来ていると思っていたが、そうではなかった。
 強制を離れたとたん(もちろん人の世に生きているので何がしかのゆるい強制というものはある。) 持ち前の性分がはみ出してきた。 
 
 まあ、いいか
 この程度ならチョイチョイとできる 
 私の生活の中心は こういう感じだ。
 それを先にやれば後は余裕を持ってやれるのに ギリギリになる。得意中の得意のやっつけ仕事。
 どうにも そういう生き方しか出来そうにない。
 ただ、長くサラリーマンをやったので納期に間に合わせる。これだけは子供の頃よりましになっているかもしれないが?
 あと数年すれば 地域の役割りも減ってくるだろう。そしてギリギリも少なくなるのかもしれない。
 ああ、だめだ。そうは問屋がおろさない。
 テキパキと動き回る妻が 口うるさく 私に 言うだろう。
 雨樋が痛んでるから直して
 畑の畝作っといて
 雪が降るから雪囲いしといて ・・・・・・・・・・・・・・

 ギリギリのやっつけ仕事は 最後まで私について回ることだろう。無題.jpg