田鶴子ちゃん

平成25年2月11日 雪
 私の前を走る車が左へまがった。
 あ、田鶴子(たづこ)ちゃんの家の人か。
 そのとき小学校の同級生の田鶴子ちゃんを思い出した。
 田鶴子ちゃんは穏やかな性格の子だった。余り喋るほうでもなく、
 いるか、いないか分からないようなところがあった。
  声は低いほうだったように思う。だからなお目立ちにくいのだった。
  そんな彼女が目立つときがあった。
 体育の時間だ。
 体育の時間は彼女はよく見学をした。
 そういう目立ち方が彼女の目立ち方だった。
 それは親にとってとてもつらいものだ。もとろん本人にとってもそうだったろう。
 それがなんでなのか、きっと心臓か何かの病気だったのかと思う。
 かすかな記憶に運動会で彼女がブルマをはいて大きく遅れてゴールした光景を思い出す。
 小学校のときは男女の体力差はないから私は走ったりすると殆どの同級生より遅かった。
 だから私にとって 彼女は 優越感をもって接する相手だったのかもしれない。いまにして思えば
 自分のあさはかさに恥じ入るばかりだ。
 彼女のつらさに優しい言葉をかけたことなどあったのだろうか。
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 4、5年前にたまたま仕事で訪れた彼女の実家で 彼女が数年前に亡くなったと聞いた。
 酸素ボンベをもって里帰りしていたということだった。
 生涯を病気と共に生きた彼女は運よく健康に生きてきた私とは比べようのない悲哀と
 小さなことに喜べる心を持ち合わせていたことだろう。
 ふと思い出した少女のままの年をとらない彼女の顔が いまもさみしそうだ。
  一日。一日。ただ手を合わすよりない。そう思えてくるのはもうお迎えが近いせいかもしれない。[三日月]