上杉啓子さん

中学2年の時に転校生が来た。
名前を上杉啓子、東京からの転校生だった。ニッポンの裏側の富山県田圃の中の中学校へ東京から中学生が来ること自体、百姓育ちの私にとって衝撃的な出来事だった。
 先ず、標準語。最初の自己紹介でテレビのアナウンサーのような言葉を使うことに 内心 カッコイイなあ
 と 思ったし、
 身なりがきちんとしているというか ハイカラというか 
 おまけに声が都会のヒト という感じで そのときのことをいまでも鮮明に覚えている。
 すこしちょっと小柄で カワイイ子でもあったし 正義感もあったし 勉強もよく出来そうだった。
 ところが 田舎の勉強のできるやんちゃ小僧ども(特にAとS)にとって とくに自分の意見をはっきり喋り
 しかも 論理的に喋る女
 というのは鼻持ちならなかったようで からかいが始まった。
 そんなに激しいものでもなかったのだと思うが 彼女が組の行事などで積極的に提案すればAなどは
 まず その こ言葉遣いに  つぎに 内容に 反論して 彼女をやりこめた。
 彼女には悪かったが議論のときは私も心情的にはAの側に立っていた。
 今と違って のんびりとした 止まっているような 暮らしの中に育った者と
 流行の最先端の東京育ちでは大きく文化や風土の違う暮らしがあった。
 彼女にも私達にも違和感というのがあったのだろう。
 3年生になって彼女とは組が遠く離れてしまって顔を合わすことも殆どなくなった。
 彼女は高校は金沢の高校へ行ったようだった。
 あれから45年。彼女は今どこに住んでるのだろう。
 すくなくとも中学時代が懐かしくて 学校へ尋ねてくるなどということはないような気がする。
 こんなことを思うと 民族と民族とが仲良くするなどというのはそうそう簡単なことではないのだと思う。
 それでも 互いの非を腹に呑みこむこと芸当くらいはしないと暮らし易くはならないと思う。[猫]