黒部源流をあるく2(高天原ー>鷲羽岳ー>雲ノ平)
h28/11/3
(↑)目と鼻の先に槍が岳、奥に穂高連邦
知らないことをする時の態度は人によってさまざまである。緻密に調べて後先考えてからする人、出たとこ勝負の人、他人任せの人、慎重に過ぎてなかなか一歩を踏み出さない人、見栄張君でスタンドプレーの人、深く考えずになりゆきでやってしまう人、・・・・・・・・・。
どちらかというと、”何とかなるだろう”型の私は
ここのところ何とかなっているのでこの日(8月11日)もそういう気分で山小屋を出発した。
三日目
その黒部が始まる山、鷲羽岳へ向かう。
6時に出発し、高天原を歩く。私より先に出発した人が写真撮影中だ。一目で私より年配だとわかる。
恰好はジャージのトレパン。
背が高いほっそりとしたその人はすぐ追いついてきて、あっという間に追い越していった。
こういうところを一人で歩くと不安と冒険心が心に交錯する。
1時間くらいで水晶池の標識があり分岐している。水晶池まで15分くらいらしい。
ここで男女二人連れが追い付いて追い越していった。
そのあたりまで行けば木の高さが低くなっている。さらに2,30分で草地となり、沢沿いの道となる。
前方を見上げれば峠を行く登山者の小さな影が見える。
(↓)冷たいがお盆休み前なので雪解け水のような刺すようなところがない。
飲めば乾いた体に浸み込んでいった。
もう、遮るものがなくなって日差しが体を突き刺す。何か所か沢を横切る。冷たく澄んだ水で顔を洗い、喉を潤す。
(↓)最後は上の中央左あたりにへばりついて登る。
沢沿いの道はきついが展望がよく右に祖父岳を見ながら登る。
沢の清々しさが伝わってくる。
最後の5分くらいは道が消え、足元がずるずると崩れる急坂なので百メートルを走るようにして、一目散に峠道に辿り着かねばならなかった。地図でそこは岩苔乗越と記され雲ノ平・祖父岳と水晶岳、又、鷲羽岳を結ぶ尾根道である。さらに、そこは黒部本流側へ下る道もあって、いわば交差点といった場所だ。
。
ここまでで3時間余りだった。ここで食事
休憩15分くらいで鷲羽岳へむかう。すぐ前の急坂のぼった凸部はワリモ北分岐と呼ばれる場所。
頂上と思っていた場所はワリモ岳で通過の途中に看板があった。
そこから 1時間30分くらいして鷲羽岳頂上に到着。そこは十数人の人。
通過者も多く結構な賑やかさである。
槍ヶ岳の手前に見える尾根は写真ではあまりわかりませんが赤銅色でした。
その荒涼とした姿に驚きました。
後で調べたら硫黄尾根とありました。
たぶんそれです。
(↑) 薬師岳 の大きな塊
(←)腹のでかい爺さん 何とかここまで来ました
くだりは槍・穂高を左に見ながら進む。
(↑)硫黄尾根の強烈な色と姿は忘れられない
1時間後、眼下に見た赤い屋根の三俣山荘に到着。
周りを背の高いハイマツの林に立つその姿を横目に途中で左に折れて雲の平への道となる。
そこからは沢伝いに黒部本流側へと下る。
下っていくと同時に小川くらいだった沢が大きい流れとなっていく。
最下部の黒部本流を渡る渡渉点まで1時間かかった。ロープがあり、水が少なかったので渡れたが、ちょっとでも天気が悪ければ一気に増水して横断が無理な場所である。その沢を渡れば再びの登りである。
鷲羽岳からの下りでよく見えた道である。何とかなりそうに見えたそこが、真下に立てば強烈な登りである。強烈な坂は灌木が茂るそれ以上遮るもののない見晴らしの良い登りである。
1時間で食べ物を探せば妻が作って3日目のおにぎりがある。 頬張ればすでに腐敗が進んでいた。しょうがなくチョコレートと飴で代用し先を進む。
急坂を登りきったと思って安心したが、緩くなっても登 この辺りまで来ると朝からの疲れを感じる。
りが続く。
だだっ広い所へ出た。そこが日本庭園と名付けられた場所であったかもしれない。途中で向かいから来た若い3人組の娘さんたちに「日本庭園ありましたか?」ときかれて、「さあ、よくわからなかったですね。」
途中から木道になり、雲の平山荘も見えた。祖父岳からの道と合流。
しかし、そこから最短コースの道は通行止めでバイパスルートとなっていた。雲の平の縁を伝うような具合に進む。山荘についたときは4時30分。
ずいぶんと長かったが、なんとかなった。
そしてケータイのバッテリーも心もとなくなった。写真はこれでおしまい。
黒部源流をあるく3(雲ノ平ー>折立)へ続く