大きいことはいいことか

農業を成長産業とするために
 大規模化を図るというのが世の中で
よく語られる。
 
 これまでの40年、私の住むムラは
その渦中にあった。

 今やかつてコメを作っていた百姓は
30%くらいになっている。
 大規模化は間違いなく進んできたのだ。
 しかし、大規模化は請負耕作という形をとり
地主(旧農家)は用水費を払い税金を払う。

 零細の僻みかも知れぬが疑問が残る。
 
 そんな風にして進む大規模化なのだ。
 
 それでもまだまだ足りずに補助をし
巨大な農地を持つ大国の農家に対抗しうるよう
にするためには数十倍、数百倍の集約を進め
農業寡占状態を作り出さなければならないという。
農業株式会社大手5社といった感じだ。
 農業寡占会社はコメにとどまらず野菜も果物も
畜産品もその手にすることは目に見えている。

 私はそういう風にして巨大化して行く過程の中で
 かつて、驚くほどの数と種類の町の店やさんが
消えていった様に、そしてそこにあった、その店でし
か買えないような掘り出し物が消えていった様に
心温まる品々が消えていった様に、
(・・・・・・まだまだがんばっているところもあるが)

 個性あるコメ、野菜、畜産品が消えていくように思
える。

 安くていいものも作ると言う企業の論理が貫徹され
ていく。顧客要求に答え十分の種類は確保されるだ
ろう。しかし、頑固親父が丹精込めたコメもキュウリも
ナスビもトマトもサトイモも・・・  珍しいものになって
しまう。

 大規模しか頭に無い人たちよ。多様であることが可能性
を開く部分はあるのだ。玉石混交の多様さを維持していく中で
小さくとも輝きを持つ人々の生み出す農産物
ができるのでないかと思う。

以上、水のみ百姓のぼやき