葉っぱに思う

緑の葉っぱ。

 その中にある葉緑体などが光のエネルギーを取り入れ光合成を行う。
 水と二酸化炭素から 私たちの命の源 炭水化物(食物 )をつくり 酸素を放出していく活動だ。

 娘が使っていた十数年前の高校生物教科書をめくると そんなことが少し詳しくかいてある。
 
 そこで、もう少しと思いウィキペディアで調べるとあまりに難しいので 私のノーミソは拒否反応を起してしまった。 

 ただ何とか理解できることは 緑の葉っぱは この地上にある葉を全てを加えればとてつもなく大きい 水と二酸化炭素から 酸素と食物を作り出す 製造所であるという事だ。 しかも、お日様の光と水という日常的に生活の周りにある材料で実現している。

 酸素で呼吸し命を繋いでいる生き物は皆、光合成を行う植物の力によっている。
 光合成を行うのは植物ばかりではない。藻類や細菌にもそういったものが存在し
ているという。

 そういったものの生存の場所を奪い、鉄とコンクリートで塗りつぶしていくのが文
明の現実である。 自己の享楽の為に。経済発展とか言う絶対善を実現するため
に。

「 植物も又、命だ。」
 命の尊さという思いは文明の暴走を阻止するのに使えるのだろうが、それを押しとどめる力は無いように見える。

 強欲の文明と地球上の葉っぱの全量の力関係。
 葉っぱを再生させないようにする実力は文明側に軍配が上がるだろう。大都市を
見ればわかる。農地を見れば分かる。熱帯雨林の開発を見れば分かる。かつて、
みな森であったり、草原であったりしたのだ。

 葉っぱに悪意がなく人に欲がある。
 だから、それは戦いでなくて一方的侵略に終始している。

 葉っぱの力が劣勢で、葉緑体の総量は減る一方なのだ。
 この地球全体の生命システムにとってそれがどのような事態を引き起こすか?
3.11巨大地震を超えた惨事が私たちの行く手に仁王立ちしているのだろうか。

 先のことは知ることは出来ないけれど 欲の総量を減らし 、葉っぱとの共生の思いと一汁一菜の日々で満たされる心があって、行為がなくては ヒト のむかう先には人類の総量の大幅な削減という事態、そして修羅の世界が現出するのかもしれない。

 葉っぱの一枚 実に 尊いものと思うのです。