大震災のこと1

平成23年9月21日記す)

 大震災から半年が過ぎた。あってみたものでなくては分からない苦悩の日々であっただろう。そしてこれからも住む場所を失った人々の困窮の日々は長く続くことになるだろう。
 時と共に、被災しなかった他の地方の人にとって、同情の念は抱けても共に泣き、共感しあう思いは薄れていくことは仕方ない。人々にも決して裕福ではない生活があるからだ。
 だが、個人個人の同情の念は何らかの形で具現化しなくてはならないのではないか。
 それは被災者は、この島国に共に住み、同じ言葉を話し、歴史を共有する同胞だからだ。例えば、行うことは結果として同じであっても
 たとえば被災地の産品を購入する(例えば福島の桃を買うとか、岩手の地酒を買うとか)といったことは その地を意識しているのと、そうでないのと同じ結果かと思うが、前者には持続性というものがあるだろう。
 持続性があれば私達は多少の力となっていけるのだと思う。そうしたことが集まれば大きな力となって復興の後押しとなっていくのでないだろうか。
 
 かつて、東北は貧しく、百姓だけでは暮らせず、出稼ぎで都会へ出、低賃金で働き、この国の経済成長を支えた。いわば多くの大企業とそれに連なる中小企業集団は本来彼等に支払うべき賃金を足元を見て値切り、輸出で稼いで大儲けしたのでなかったか。
 私の歩んできた人生はまさにその流れの中にあった。私たちの世代以降はそのおこぼれに預かった。
 それに対する少しぐらいのお返しはしておかないと、仁義に反すると思うのです。
 共に笑顔となる為には、それぐらいのことはしておかないと罰が当たろうというものです。