数の仕分け1(古い帳面から)・・・数えられる

 数の仕分け1
  数についてのよもやま話を何回かに分けて かいてみます。私なりの数の仕分けというところです。田舎の爺の書くことであれば しまりのない サンスウのお話です。
 自然の数。yubi.jpg
 小学校入学前の子供が大きな声で「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10」 という。それを聞いてその親がジイ、バア が 「すごい、ウチノ孫天才!」といって持ち上げる。そう、だいぶ昔からこの国の人は入学前に1から順に10まで数えるのが子供の条件として必要なことであった?
そうでない子は、心配の種・・・ソウカナ[猫]
 多くの人にとって数えることはサンスウの第一歩だったと思う。だから算数のことを話すときに我々が日常的に行っている「数えること」を考えてみたいと思います。
 日本の人口、○○小学校の児童数、親父の髪の毛の本数(0本ということはありません。)、□△商店街の店の数、タンポポの花びら数、・・・ これらは数えようと思えば数えられるもの。
このようなものはいっぱいある。指を折ってかぞえるやり方が基本にある。

 海の魚の数、鳥取砂丘の砂の数、落ちてくる雨の数、山に生えている木の数、田んぼに実る稲穂の粒数、・・・・、そして星の数。
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 ここにあげた例えは 指を折って数えていける数、あるいは、数えられそうな数です。けれども生々流転の世界では実際に雨の数などは数えることが不可能です。

 それはなぜか? 
 あまりに沢山あるからです。そう、夥しい ということばがピッタリ当てはまる。
 こういうものを数えるには一瞬にして指折り数える能力が必要です。神仏だけにできる技です。 
 ただ、神様仏様であろうとも ヒトであろうとも 圧倒的な数える作業の速さの差を除けば指をおって数える動作には違いはありません?みな指折りで理解する数です
 サンスーではこれを自然数というそうです。
   ヒトがこういったものを数える意思を持った時、数は自然界の木や水や土のように”そこにある”のではなく、ノーミソが作り出した不思議となる。そしてそれによって大小軽重を理解するのです。中には数えること自体を楽しむこともあるようで・・・。
  こうした誰もが日常的に扱いなれた自然数はサンスウを楽しむときの根っこです。そして生活の中にあります。
  これが 数の仕分けで取り出された一つ目のものです。
 余談:   しかし、あまりに慣れ親しんだ、この自然数というのもいろいろごちゃごちゃやってるとなかなか奥の深さがあるようで、そういったことを研究しているヒトもいるようです。
  たとえば素数といって3とか5とか11とか13とか17、・・・、101とか・・・     一番おおきな素数はあるか  なんてことも 考えてみたりしてみるととても凡人の領域ではありません。
 しかし、そのように数えることができない数もあります。われわれが良く知っているそれらの数のこともあとで書いてみます。