昔の時法

昔は一昼夜を12等分してその時刻に十二支を当てた。
 夜の0時を子(ね)、2時を丑(うし)、・・・・としていく。 すると12時は午(うま)。正午というのはその名残だそうだ。
 又、子の刻を 九つ(ここのつ)、丑の刻を八つ(やっつ) と数えていって 巳の刻になれば四つになり 次の刻で戻ってまた九つとなる。
 それで、同じ六つでも 午前は明け六つ、午後は暮れ六つなどといったのだという。無題.gif
 このことについて昔の人は 今なら「そう決めたのだ。」というところ
 ある本によるとこんな分かったような分からないような説明がついている。
 数は一から九までを基本とし  一は数の始めで   九は究 であり、数の極である。
 九を過ぎて十になれば また一となる  ????
 さて  この九を午前0時(はじまり) の 1 にかける 1×9     =9
 次に    〃  午前2時       の 2にかける  2×9-10×1=8
 次に    〃  午前4時       の 3にかける  3×9-10×2=7
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 次に    〃  午前10時      の 5にかける  6×9-10×5=4
こうして、午前がおわり 午後も同様にして決めていく。
 ( この計算が何の意味があるのだと今の人は思うだろう。それは、非科学的占い的規則とみたいだ。)
 これには更に続きがあって

 午前の最後にある巳の刻は 子の刻から数えて6番目 6×9=54
 午後の    〃  亥の刻は 午の刻から数えて6番目 6×9=54
 昼と夜の極みの数の和 54+54=108 真夜中に 108になると結んでいる。
 
 
 108とは煩悩の数。
 二時間ごとに 煩悩が 9つ 増え 一日の終わりに 108 になって
 そこを過ぎたら 消え去ってしまう。
 明日は明日の 風が吹くのだということか?
 108の煩悩の話にまで辿り着いた この説明は
それ単独では無機質な 数が 
ご先祖様達によって 一つ一つ 個性を もたされて 登場してくる。

 こんな話をばかばかしいと思うか 趣を感じるか それぞれだろう。

 ただ、すぐ機械に計算を頼り、新聞や報道の数字の意味も思わず 表面に出た値に流される
今の人は 数字に対する感性では 御先祖に及ばぬような気がする。[眼鏡]