笠ヶ岳 山行記(冥途への土産話)2/3
8月31日(木) 曇り
朝、里の母(私の義母)と宝塚を見に行くという妻を送る。帰宅後、笠ヶ岳後遺症のヨチヨチ歩き。
2晩寝たのにまだ回復不十分だが畑仕事できるだろう。
昨晩、つらそうにしている私に母が「こっで、山へ行ったなよになったろ。」と言えば
妻殿は「子供産む時と一緒やちゃ。産むときは大変やけど生まれたら忘れてしもが。」と言う。
・・・・・・ よくご存じで。
笠新道へ踏み込むために
水2ℓは後から飲むことにしてリックの奥にしまい、取り出しやすいリックの両脇にはスポーツドリンク(スズメバチのエネルギーで脂肪を燃やすとかいう宣伝文句のある)を2本忍ばせ、最初にのみさしのスポーツドリンクをグイっと飲んでから一歩を踏み出した。
最初は比較的整備された道が続く。深い森の森林浴気分である。しかしながら10分、20分と進み勾配の強さが感じられるようになってきた。
最初は比較的整備された道が続く。深い森の森林浴気分である。しかしながら10分、20分と進み勾配の強さが感じられるようになってきた。
途中、、標高1420mの看板が置いてある。ブナ、ナラの原生林であると書いてある。
この辺りではまだスズメバチドリンクが抜群の効果だ。
右に写る坂が大分強い勾配になっている。
右写真撮影(8:42) →
原生林の中に一人いると少しの不安と、自然の子宮にくるまれているという安堵が交錯します。
右写真撮影(8:42) →
この辺りでは緩まない勾配に弱点の腰と太ももの裏が違和感を感じ歩幅を減らし慎重に進む。森の中でガスもかかり、登りには最適なのだが、身体の方が ちょっと待てと言い始めたようだった。
この辺りからだろうか下山する人とすれ違うようになった。
右は登山道にある痛めつけられた大木。それでも生きる姿に心が動きます。
撮影(9:28) →
「これは序の口ですよ、上へ登れば素晴らしい景色が待ってますよ。頑張ってください。」との返答。
・・・ そうか・・・・・と 思った。へとへとの体に力が湧いてきた。
撮影(9:34) →
標高1700mの看板をみて少々がっかり。
スズメバチドリンクの補充が大きい消費に
追い付かなくなってきた感じがする上に、空腹が血糖値を下げているようだ。
もう少し行っておにぎり時間にしようと思って進んだ。
撮影(9:38) →
薬師沢小屋から雲の平へ向かう急坂によく似たた登り。雲ノ平は2時間余りでこんな登りは終わるがここは何度でも出現してきた。
撮影(10:04) →
標高1920mの看板。
しかし、この看板一人前の山登りの人を対象にした言葉。ヘナチョコ爺さんには+30
分必要だった。
撮影(10:31) →
1920m付近は眺めも良く昼食。
昼食後元気が出てきたが、なんとなく坂がきつくなってきたように感じた。大分歩いたところですれ違た人に「ここは2100m位ですかね。」と聞けば、「2100mの標識までまだだいぶありますよ。」との答え。
自分のあるいた感覚と大いにずれているではないか!
大いに落胆。
撮影(10:31) →
ところが、根性一本で進み続けついにあった看板。
それには標高2200mとかいてあるではないか。
やっぱりだ、あいつは勘違いしてたんだと
自分の歩いた感覚が証明されたような気分になった。
(・・・このあたりではフラフラで写真を撮る余裕なく標高2200mの写真なし。)
ただこの辺りから時々坂に緩む場所が出てきたので杓子平が近いと、
もしかしたらもう杓子平かなと思った。
そして、ついに見えた峠、笠新道分岐じゃないかと思いエンジン全開しこえた峠。
眼前には大きな山塊と広いくぼみ、標識があらぬところを指していたのでそこに休憩中の若者に聞けば眼前にあるのは杓子平で標識が指し示す山が笠ヶ岳だという。
そこは2450m地点であった。
落胆という言葉の意味がようく理解できた瞬間だ。
その彼が2時間で行けるという。
あんなところへ2時間で行けるだろうか。
彼はそれだけで行ける人だったんだろう。
緩い下りを進み、休憩中の
50代というおじさん、笠新道分岐へ着くまででもそれくらいかかるという。
少し下り再びの登り。ここでおじさんと二人英気を養うこととなる。(水、糖質成分、ミネラルの補充)
撮影(13:15) →
3/3へ続く。