笠ヶ岳 山行記(冥途への土産話)3/3

平成29年9月1日(土) 晴れ模様
秋だなあ   そういう気分にさせる朝。今日から小学生たちが通学を始める。
私も 今朝からは「子ども見守り隊」の旗持ちに出動となる。数十年前、この9月1日の嫌だったこと。
やってくる子らも家から追い出されてしぶしぶやってくるのだろうな。

笠ヶ岳後遺症も3晩が過ぎて漸く70%復活状態となった。今日はダイコンやら、ハクサイやらの畑つくりができそうだし、明日は田圃の畦草刈りもやれそうだ。

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やっと山行記も中盤を過ぎた。残りを記して畑へ向かうこととしよう。
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 杓子平での休憩を終えれば再び急坂がある。これまでと違うのは両側に背丈ほどの灌木が茂る道から岩だらけの見通しの利く道だ。一緒に休憩していたおじさんは先に行った。その姿がみえる。彼も時々振り返る。

 空腹を満たしたつもりが暫く歩いただけでふにゃふにゃ状態になってしまった。

 それでも何とか分岐まで行こうと重い足を進める。斜め左にそそり立つ大岩を過ぎれば分岐であってくれ!と願えども、そこへ到達すればまた同じような大岩が現れる。
 へこたれて思い直し、へこたれて思い直す。前を行くおじさんは万歳しそうだ。
 やがて追いつき一緒に小休止。

 おじさんの小休止が長くなり、私が先になった。

 一歩を進め、また次の一歩
分岐でチョコレートを食べよう、水も飲もうという私の卑しさがついに分岐に着いた。(標高2830m位)
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右側に小高いところがあり、抜戸岳という山だ。前方にはガスのかかった谷、右は双六方面への縦走路、左に笠ヶ岳への縦走路。
 5分くらいしておじさんが到着。
彼が言う。
「6年前に来た時はまだ40代だったんだけど年ですかねえ。」
それには答えず、「ここまでくればもうすぐですね。」とこたえる。
 彼は、縦走路へ出たことでがぜんやる気が出たのか、休むことなく歩き出した。

     撮影(3:22)→

しかしこの縦走路、そんなに甘くはなかった。登ったり、下がったりで前方にテント場に到着したとき山荘が大きく視界に入った。
例のおじさんはと言えば下のテント場で奥さん?と思われる方と一緒にいて、既にテントがしてあった。
(テントはオクサマが作ったと思われた。)
オクサマが言う。「あすこまで直ぐそこに見えてなかなか着かないんですよね。」
おじさんの到着点はここで、関西訛りで私に言う。
「小屋まで15分もかかりませんよ。」
・・・・ 山荘までの大きな岩が幾重にもゴロゴロに重なった道を登る。途中で15分がたち、山荘はまださきである。・・・・・・ イイカゲンナ コトヲ イイヤガッテ !

山荘へ着いたのは4時30分。最初の注文は「ビール」だった。
しかし、泡が邪魔して一気に飲めず期待効果半減であった。ガスがかかり何も見えず。部屋でごろりと横になった。

山荘の食事を終えてしばらくすると「見えるぞー」と声がする。東のガスが切れ槍・穂高連邦が姿を現したのだ。
山荘の部屋は窓がそちらへ向けて作られていて寝転がりながら見える。
借り物のデジカメを取り出し写したのが以下の写真.。(撮影:18時過ぎ)

3/3で終わりにしようかと思ったが 長くなったので(畑もしなくてはならないので)4/3に続きを書くことにしようと思う。
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