あかがみと終戦と ええじゃないか

 60の私は兄ちゃんでも、おっちゃんでもない。じいちゃんの分類にはいる。
 まだ若いというてみても、そこいらの小学生から見たらじいちゃんにしか見えない?
 人生もあと〇〇年として数える人類だ。
  田舎ではそれから上の人は朝NHKの朝ドラを見る人が多い
 (・・・・かどうか知らないが、私が勝手にそうおもっている。)
  
 我が家の朝、80を過ぎた母とその息子が「カーネーション」を見ている。

 この時間は、母と息子がどうということもない世間話をする大切な場でもある。

 12月は昭和10年代から終戦に至る人々の暮らしの部分をやっていた。
 
 主人公の夫や、幼馴染に赤紙が来る場面で母に聞いた。
 里(母の実家)の伯父に赤紙が来たときはどうだったかと。
 母の話によれば 母の父(祖父)の手は赤紙を持ったまま震えていたそうである。

 年末には玉音放送の場面。
 之もまた母に聞く。
 
 玉音放送を聞いて母の母(祖母)は息子が帰ってくると言って喜んだそうである。
  しかし、実際に家に戻るまで何年か待たねばならなかった。

 少年のころ母の実家に行けば大きな明治天皇の御前会議の絵があったような記憶がある。
 祖父母は お国の勝利を願った人であっただろう。しかし、息子を戦にとられた親の思いは上に
書いたとおりである。
 戦争には、人々の日常を守るという大義もあったのだろうが実際は違った。

 国を預かる立場の人にとって戦争は仕方なかったのであろうか。
 老いた父母達を泣かせた戦争は仕方なかったのであろうか。
 国の舵取りをすることは凡人にできることではない。
 けれども、非凡な人たちもまた失敗する。そしてその失敗は凡人の失敗とは規模が違う。
  そのことだけは私にはわかる。

 今はどうだろう。
 TPPも沖縄米軍基地のことも増税のことも経済政策のことも震災復興のことも原発再生可能エネルギー
のことも、そのことで人々の生活が大きく変わる課題のようだ。
 しかし、正反対の情報が飛び交い 
 ネットを見れば百家争鳴。私にはわけがわからぬ。

 ええじゃないか ええじゃないか どうでもええじゃないか
 
 おもわず そう 思ってしまうことがある。

 そんなことにほとんど関心のない妻を見ていると 羨ましくもある。