コピー
30くらいのとき 会社の先輩で 稲田(仮称)という人がいた。私より7つ上で 切れ味鋭い弁舌と、洞察力、社交に長け、色は浅黒く、酒強く 見かけよく、若い社員や 女子社員にも人気のある人であった。
稲田さんの手腕を大きく買う幹部も多く順風満帆という風に見えた。
たまたま配属された隣の部署にいらしたこともあって時々その薫陶にあずかった。
それからも互いに異動で部署は違ったが時々、教えを請いに行った。
私は当時、稲田さんに心酔するところがあって 仕事に行き詰ったときにその言葉は大いに先を切り開くに力となった。
その話のほとんどは忘れてしまったが、今も覚えているところがある。余程、そのとき身にしみたのであろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最初に伺うと連絡を入れたときに 「ノート をもってこい。」というのでノートを持参していた。
私の話を聞いた後で 稲田さんは もって来たノートを 開け といい
次にこういった。「そのノートに でかい字で 之からいうことを書け。」
「百聞は一見にしかず。」
「百見は一行にしかず。」
「百行は一考にしかず。」
私は でかい字で 書いた。
それを見て つけくわえた。
「知識には4つある。一つは 聞いて知る知識 一つは 見て知る知識 一つは やってみて知る知識 一つは よく考えて知る知識。」
それから業務に関係する資料があるから目を通すようにといわれ、それをコピーしようとした私にこういった。
「コピーして持っていく資料は二度と見ないものだ。紙と電気とインクの無駄だ。持ってきたノートに必要なとこを写していけよ。」
それから付け加えられた。
「人に物事をやってもらえばお前の仕事は何倍、何十倍進む。知っているだろうが 山本ごじゅうろく (山本五十六のこと)の言葉にこうある。『言って聞かせてやってみてほめてやらねば人は動かじ。』 それにもうひとつ付け加えて。『言って聞かせてやってみて やらせてみせて ほめてやらねば人は動かじ。』 でなくては仕事したことにはならない。」
私はそれらのこともデカイ字で書きとめ謝辞をのべ帰ろうとした。
すると
「おいおい、槍投げしたことあるか。」
「槍投げ? したことありません。」
「そうか、これからもするなよ。」
それは稲田さんが時々使う 変な言葉 のひとつだった。
槍を投げるーーー> 投げる槍 ---> 投げ槍 ---> なげやり
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんな稲田さんは順調に昇進され、執行役員になられた。
会社の中枢深く進み取り巻きに囲まれた生活者となった。
十数年の歳月がすぎていた。
私はそのときE部門の予算計画、行動計画を推進する立場、稲田さんは会社としての方針を示し
各部門を統括する立場。
会議であったりすると、稲田さんに、もう 切れ味はなくなっていた。しがらみだ。
社長の顔色を伺い、当たり障りのない指示をし会議はいつも円滑に進んだ。
かれはそのころになると「おい、その計画のコピーしといてくれ。」というようになっていた。
しかし 稲田さんから 沢山の 何か得がたいものを頂いたことはほんとうなのです。だから今も感謝!
私が会社を離れて7年。稲田さんも 今は普通の 70手前の 爺さんであろう。しがらみからとかれ、切れ味鋭いお姿が復活していることだろう。そう信じている。
老いと、権力に近づくことで 切れ味が悪くなるのは 多くの人がそうだ。だから老いたら権力からはなれなくてはならない。
稲田さんの手腕を大きく買う幹部も多く順風満帆という風に見えた。
たまたま配属された隣の部署にいらしたこともあって時々その薫陶にあずかった。
それからも互いに異動で部署は違ったが時々、教えを請いに行った。
私は当時、稲田さんに心酔するところがあって 仕事に行き詰ったときにその言葉は大いに先を切り開くに力となった。
その話のほとんどは忘れてしまったが、今も覚えているところがある。余程、そのとき身にしみたのであろう。
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最初に伺うと連絡を入れたときに 「ノート をもってこい。」というのでノートを持参していた。
私の話を聞いた後で 稲田さんは もって来たノートを 開け といい
次にこういった。「そのノートに でかい字で 之からいうことを書け。」
「百聞は一見にしかず。」
「百見は一行にしかず。」
「百行は一考にしかず。」
私は でかい字で 書いた。
それを見て つけくわえた。
「知識には4つある。一つは 聞いて知る知識 一つは 見て知る知識 一つは やってみて知る知識 一つは よく考えて知る知識。」
それから業務に関係する資料があるから目を通すようにといわれ、それをコピーしようとした私にこういった。
「コピーして持っていく資料は二度と見ないものだ。紙と電気とインクの無駄だ。持ってきたノートに必要なとこを写していけよ。」
それから付け加えられた。
「人に物事をやってもらえばお前の仕事は何倍、何十倍進む。知っているだろうが 山本ごじゅうろく (山本五十六のこと)の言葉にこうある。『言って聞かせてやってみてほめてやらねば人は動かじ。』 それにもうひとつ付け加えて。『言って聞かせてやってみて やらせてみせて ほめてやらねば人は動かじ。』 でなくては仕事したことにはならない。」
私はそれらのこともデカイ字で書きとめ謝辞をのべ帰ろうとした。
すると
「おいおい、槍投げしたことあるか。」
「槍投げ? したことありません。」
「そうか、これからもするなよ。」
それは稲田さんが時々使う 変な言葉 のひとつだった。
槍を投げるーーー> 投げる槍 ---> 投げ槍 ---> なげやり
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そんな稲田さんは順調に昇進され、執行役員になられた。
会社の中枢深く進み取り巻きに囲まれた生活者となった。
十数年の歳月がすぎていた。
私はそのときE部門の予算計画、行動計画を推進する立場、稲田さんは会社としての方針を示し
各部門を統括する立場。
会議であったりすると、稲田さんに、もう 切れ味はなくなっていた。しがらみだ。
社長の顔色を伺い、当たり障りのない指示をし会議はいつも円滑に進んだ。
かれはそのころになると「おい、その計画のコピーしといてくれ。」というようになっていた。
しかし 稲田さんから 沢山の 何か得がたいものを頂いたことはほんとうなのです。だから今も感謝!
私が会社を離れて7年。稲田さんも 今は普通の 70手前の 爺さんであろう。しがらみからとかれ、切れ味鋭いお姿が復活していることだろう。そう信じている。
老いと、権力に近づくことで 切れ味が悪くなるのは 多くの人がそうだ。だから老いたら権力からはなれなくてはならない。