生産組合長のお役目



 世の中に百姓という言葉が死語になりつつ
ある。その代わりに農業とか農業者とかいう言
葉が多く使われるようになった。

 私が子供のころは ヒャクショウ といって 
町のコドモが人を小馬鹿にする時に使った言葉
であったが、それでも父ちゃん達はヒャクショウ
でどこが悪いくらいの気持ちがあった。
 
 世の中が貿易立国を標榜し、勝ち抜いていく中
で、儲けの多い、あるいは見栄えがよい、あるい
は世間受けのする、あるいは肉体労働をはなれ
た仕事に人は群がった。

 
 革命であった
 あとを継ぐものが都会に流れれば 衰退するの
は 必然であった。

 百姓はよく働いたが 小ざかしさが足りなかった。
 そして 自民党の票田としては機能したが、それも
些少の補助金を受けて牙を抜かれ、ゆるゆると弱体
化した。
 そういう流れの中で兼業は先祖から受け継いだ田
畑を捨てるに忍びない百姓のたどりついた方法であ
った。外で働いた金を百姓の穴埋めに使う。
 それでも百姓を辞めないのはなぜであろうか
 捨てきれない何かがあるのだ。
 
しかし、いまやその兼業も高齢化で消えつつある。
 何とかしようとして地域地域で小さなヒャクショウが
集まって営農組合組織をつくり団結し、櫛の歯のよう
に抜け落ちていく個々の百姓をつなぎ止めようとして
いる。それが今だ。 
 農業という名の企業集団へ変わろうとするのだ。
 中核農家といって既に巨大化した農家もある。                                              営利集団となった農業者団体や企業は百姓では
ない。そこで行う仕事を称して農業というのだろう。
 激烈な国際競争の渦中に生きるには百姓では
だめだというのだ。
 かくして百姓にこだわれば消えていく運命かと思
われる。
 まとまりが悪い所為か?
 私の住む部落では元気のいいのがみんな高齢で
営農組合の動きはおこらず、今も個別の百姓が主
だ。
 
 
 
50代、60代の百姓がなんとか持ちこたえている。

 
 子供達は都会へ行ったきり。それで、かつて若い
者がやっていた百姓のつなぎ役としての生産組合長
という役目がいまや、年寄りが行うこととなった。
 今年は私の番だ。2回目・・・
 部落の 絶滅危惧種 百姓達のこまごまとした小
遣いだ。
  私の住むとなみ平野は庄川の水でできた扇状地
豊かな水がコメつくりに適していた。 富山のコシヒカリ
の産地だ。
 わが村もまたコメつくりの百姓ばかりだ。

  私は思います。コメをつくり、野菜を作り、水に親しむ
百姓の生活は、
 喧騒の中で 責任という強制に 雁字搦めに
されもがいている人が息を吹き返す生き方でもある。

 
 不便さよりも心の安穏を願う方に適う生き方である。
 都会にいて 苛立ちの日々を送るよりどれだけか
幸いではないかと思う。


 老いも若きも 村へ来られよ![わーい(嬉しい顔)][モバQ][わーい(嬉しい顔)][わーい(嬉しい顔)] [黒ハート][猫]