初マラソン(前) 自己管理能力

[ドタバタ道中]

8月29日(木曜日)

 マラソン会場近くに宿泊先をとったはずだった。ところが出発前日に「国営アルプスあづみ野公園」が二ヵ所に分かれていることに気が付いた。

 地図では公園名はカッコ書きで堀金穂高地区と大町松川地区に分かれていた。

 申し込んだホテルはマラソン会場の大町松川地区迄23k離れていた。

 ネットでホテルを予約したカアチャンを信じた私。

 彼女は「おんなじ名前だったから、間違えた。」といった。

 まあ、私も間違えたようなものだから仕方ない。けど、これではホテルで朝メシとっている時間が無い! 

8月30日(金)

 朝から雨。出発は10時だったか、砺波から高速道路で糸魚川まで行くつもりだったが出発して数分で豪雨となったので高速は危険と思い一般道にした。普段はスイスイ進む富山市の南を通る田圃の中の道で思いもよらず渋滞となった。対向車線を消防車、救急車がサイレン🚨をならし走りすぎた。「あれは事故現場へいくがやわ。サイレンならしてたから。」

 ーーソウカナ?ーーー と思ったがすぐ思い返し

さすが我がカアチャン!スルドイ! 

と私は感心した。15分くらいした頃だったか、ようやく渋滞の理由がわかった。交差点でクレーン車(中くらいの)が横転していた。

「さっきの救急車はこれだ。」

 カアチャンの読みはハズレた。事故現場を過ぎ、ようやく渋滞から解放された頃には大雨からも解放された。

 そこからは少しして高速道路に入り、糸魚川インターから出て姫川沿いに白馬、大町方面へまっすぐ進む、雨も小さめだったが小谷村からもうすぐ白馬村にさしかかるあたりでまたしても渋滞。

 トンネル事故だ。

 交通整理に従って姫川を渡り、対岸へ渡る。そこは道幅狭く大型車同士がすれ違うのに場所によっては4,5分掛かる様な所で、いつこのノロノロから抜け出せるのかと思った。渋滞から抜けるのに30分以上はかかったかもしれない。

 最後のダメオシはホテルまでもう少しのところで、カーナビが曲がれと示した通りに進むと、そこに「通り抜けできません」の看板が立つ。ところがその道を地元の車らしき車が躊躇なく進んでいく。そして戻ってこない。

アレ、イケルンジャナイカ

 そこを進めば 狭く クネクネした道になってくる。山中の道、いつのまにか下り勾配となり「オカシイナ、ヤッパリダメカ  広いところで Uターンしようか。」 と思ってたところ前方に広い道路が見えた。それがホテルへの道であった。

 グルリとまわって殆ど元へ戻っていたのだった。

食べ過ぎ?

 ホテル到着は4時を過ぎていた。

 閑静な森の中、ゆっくりしたい気分になるホテルだ。しかし、明日は朝食をキャンセルして6時に出発だ。f:id:osamu60:20190830164846j:plain 

 せめて夕食はゆっくりといただくか。

 

 食事は5時45分、いつもは飲まない酒を注文した。大分満腹になったにもかかわらず料理は出てきた。カアチャンがモウダメというので オレガタベル とカアチャンの分も食べた。それがまずかったようだ。最後に出るデザートを食べて腹痛が始まってしまった。そのままトイレへ走る。

 夜中にも2度トイレへ走った。

 明日走るというのに自己管理できない爺。長らく生きても学習しない自分に言葉もなし。

早月を行く 最終 剣岳につく

8月2日
[標高1800mへの道]
5:30の朝食は10人程度だった。既に多くの人が出かけてしまっていた。斜め向かいの人は食後は薬薬薬。 (私も薬を持ってきていた・・・・同じか)。

・・・・・老いたとて
   持病あるとて  この朝は
ヤクで治めて  あの峰に立たん
 

・・・・・発つ前に
クスリいれたか
また開けるリュック
 ・・・・

 前日の登りで水の残りが1リットルくらい。山小屋でミネラルウォーター2リットル、1本(1000円)と、アクエリアス500cc、1本(500円)を買う。
 前日の山小屋のオヤジさんの会話の中で、「山はまず水の確保最低3リットルは必要。」と言っていたのを思い出したからだ。ツンと鼻をつくのはシャツの汗臭いにおい。
 ・・・・・美女もまた
      におい気にせず
          小屋の朝  ・・・・・

 出発は6時を過ぎた。
 風はない。テント場を過ぎ、再び森の中へ入ればムッとする暑さ。20分も歩けば水をかぶったようになった。30分くらい進むと昨日の女性に追いついた。その辺りであとから出発した2人連れが追い付いてきて先行してもらう。
 1時間くらいで最初の鎖場。先の二人が帽子からヘルメットに付け替えている。
 みな穴のある登山用のヘルメットだ。私も工事現場用の保安帽(ヘルメット)を装着した。安物だ。キット蒸れる。しかし、大差ないようにも思える。寧ろ、穴のないほうが本当のヘルメットだ。
 
 この道は今回で3度目だがこの場所の記憶がない。・・・・”こんなとこあったかな?

登れば、その鎖場は短かく見た目ほどでなかった。しかし、そこは、あとから次々と現れる険しさの入口なのだ。滑落の文字がついて回る。崖が登山コースと対で緊張する場所がいくつも現れる。

イメージ 1
 途中一か所だけ小さめ雪渓を横切る。雪が落下の防護柵のようになっている。
 小屋から、この辺りまで2時間余り。坂も緩くなっているので雪渓手前で水分補給休憩とした。

イメージ 3

 眼下の池の谷からは、朝の蒸気がわき断崖に薄手のカーテンをかける。雪渓を渡れば、急坂連続。次第に雲がひき強烈な日射しとなる。暑い。(@_@)

・・・・・・・・・・・・・・・・.
[最後の岩場]
イメージ 2

 標高2800m、そこ迄見えてなかった劔岳の大きい塊が目の前に現れる。
 圧倒的存在          人はその背中を這いまわるだな。
あと0.7kmの標識は普通ならスグソコという意味だが、ちょっとやそっとじや着かない。
イメージ 4


ここからはよじ登り、シガミツキ、バランスをとり、恐怖を乗り越え、休み休み進む。岩場と崖道が順次現れて前進に骨の折れる行程だ。乗り越え、乗り越え、また乗り越えたら又次の岩場があった。 何度かの落胆のあと、とうとう白い十字架(道標)が視界に入った。
イメージ 5

・・・・ やっと此処まで来たか ・・・
そこを過ぎれば「カニのタテバイ」からの登山道と合流する。しかし、目とはなの先のように見えて意外に遠くかんじる。ゴロゴロの岩道は頂上の社(やしろ)をなかなか見せてくれない。
・・・・・・・・・・・・・・・
小さな祠の横迄来たとき「着いた!」と自然に声がでた。
そこには20人位はいた。
頂上は広い。
ヘトヘトで頂上にある祠の斜め手前に座る。「着いた。」と他の人も思わず口にしている。
着いたのだ。
皆、長く緩むことのない登山道を、雑念をだき、後悔もし、時に恐怖を感じながら、「頂上へ!」の一心から、最後はそれを乗り越えて到着したのだ。

賽銭1100円をおき、祠に手を合わせると不信心な私に涙がでた。なぜかは分からない。

頂上は15分くらいいた。此処は誰でも友達になれる場所。祠の前で写真を撮ってもらう。デジカメの液晶部分に汗?のせいで画面がとても見にくかったようだったがヨレヨレ肥満爺がちゃんと写っていた。
イメージ 6

[下山]
頂上についたから終わりではない。下りなくてはならない。
 十字架のあたりで例の女性がいた。私の先を行く若い女性と話をしている。若いほうはカニの横ばい方面へと降りていく。私は 「一番大変なとこ抜けましたよ。」と、いい加減な挨拶をしてすれ違った。
 
 登りが険しい場所ほど降りるのは危険だ。幸い晴天で、足元がズルズルと崩れていくとか、スルッと滑る様なことは少ないだろう。しかし、ちゃんと何かを掴んでないと転落しそうな場所、足を引っかけて転倒しそうな場所、鎖、ロープにシガミツイテ下りる場所は登りで疲れ、思う様にならない。滑落事故は下りに多いのではないだろうか。標高2800m迄はそういう所だらけである。
そこでずっと写真を撮っている人がいた。
 その人と一緒に大きな劔を眺める。吸い込まれていきそうな感覚を覚えた。しばらくすると、空腹が襲って来て、山小屋の弁当を開けるといなり寿司と海苔巻き各4個。何となく小さめ?だった。後で空腹になった時の為、半分残した。しかし、長く急峻な早月の尾根。再び早月小屋に着いた時、又、水を買わねばならなかった。そこからも長くて険しい下り。残りの弁当を食べ、水を飲み、2度滑り、2度つまずき、再び襲ってくる空腹に、塩飴とポッキーを食べてしのぎ、やっと番場島へ着いた。6時を過ぎていた。
例の女性は下りられないだろう。今晩又小屋に泊まって明日下山だろうな。他生の縁というのだろうか。気になる人だった。

 いつもそうだが、最後の一時間は本当に長く感じた。駐車場へ着き、汗臭く着替えたいが、番場島の守り神オロロが車のドアを開けると飛び込んでくる。一秒でも早く退散。帰宅の途についた。
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 [あとからのつぶやき]
 1. 登山ブームだな!・・・・人と会うことがまれな早月で2、300人くらいの人にあったような気がする。道が整備され、ロープや鎖がしっかり取り付けられ、道案内もわかりやすくなった。山を好きな人が増えるのはいいのかもしれないが、都会からどっときて山が都会化する。山の”ナニカ”が冒涜されているような気がした。

 2. 山小屋のおじさんの言ってたことを思い出した。「雪の残る5月に、小屋まで来てください。この世のものと思えぬ風景が目の前にあるから。」

 3.山小屋のアンちゃんに言った。「今回が人生最後の劔だよ。」
 すると彼は「何をおっしゃいます。70代はもちろん、80過ぎた方も沢山登られますよ。まだまだ来てください。」と。気が変わるかもしれない。
 4.近頃はナントカRUNとかいうので山を走る人がいる。その練習なのか軽装であがり、山を駆けおりる。危ないじゃないか!
 5.オロロ:10日後に折立登山口から太郎山(薬師岳方面)に登った。人ごみの中下山したが、オロロはいなかった。オロロは番場島にいる。油断して、汗臭い体で休んでいるとオロロに刺されてマカッカになるから、下山したらすぐに車の中へ避難すべし。

早月を行く その3 満天の星

[ここは標高1400?]
鉄を喰う杉と別れて暫くすると早月の長く厳しい登りが始まる。
登りの始まって少しのところに大杉があって、その根に腰を下ろし休んでいる人がいる。
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帽子には○○marathonとかいてある。下山中だと言う。
私も登山開始から1時間、ここで休憩する事にした。ペットボトル1本あっという間に飲み干してしまった。暑い。
所々で写真を撮ろうと首からデジカメをぶら下げていたが、それが顎か顔から落ちた汗でベチョベチョになっている。
余り気にしてなかったのだが、後での故障の要因だったのだと思う。
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「頑張って!」
そう言ってマラソン帽子の人は軽快な足取りで下っていった。

さて、ここから正念場である。木の根、階段、岩場、梯子、ロープ、様々な急斜面が延々と入れ替わり立ち代わり現れてくる。尾根道なので水は手にはいらない。息づかいは荒く、汗が目に入る。
何人かの人が追い越していった。みんな速い。
1200mの道標を見てから行けども行けども1400mに着かない。どこかで見落としたかと思ったが、そんことはなかったように思う。又上って又登る。それでもない。見落としたんだなと思った。なら1600mの道標がソロソロあるだろう。
登り、登りして道標発見、1400m。 間違いなく「1400m 環境省」とかいてある。
これにはガッカリした。オカシイナ?

  時計を見ても1600m近くでなくてはならない様な気がしていた。其のアタリで前方を進む女性がいる。少し小柄だ。両膝はズボンの上にサポーターがしてある。年齢は私位か。
 その人は「お先にどうぞ。」と言い道を譲ってくれた。登り続けるうちに彼女の鈴の音は聞こえなくなった。

 1400mから1600m到着は早かった。(  1400mの道標はあの位置でいいのかな。・・・・ そういう気がした。)
 1800mあたり、ようやく左に赤谷山が見える地点に着いた。この辺りではヒタスラ登る。水を飲む、また登る。
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 [異変とマッチ箱]
 急登で
ほせてひからび
こわばる身には 
ぬるい水とて
うまいの一語

 
ふと凍らせたアクエリアスを持ってきていたことを思い出した。
 リュックを開け取り出せば、溶けて冷たく飲み頃だ。一気に二本飲んだ。しかし、これがまずかった。
 元々腸が悪いのだ。
 30分位たって腹の調子が少しオカシイ、それからというもの「早く着かねば。」の思いだけ。こういう時にはクソ力がでる。キツくなる登りも何のその。森を抜け、灌木地帯、もうすぐと思った。
だが!突然に、鎖場。後から来た人に「どうぞ。」と言う顔は歪んでいたかも知れない。
鎖場は思いよりは短かった。そこを過ぎ再び急坂、そしてマッチ箱がみえた!
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  眼下の早月小屋へ急ぎ用を済ませた。
嗚呼 幸せ@! 
6時間半の今日の工程が終わった安堵もあった。

 [明日てんきに]
部屋は余裕があった。10人。布団は3組余っていた。
 シャツとズボンの乾燥のため外へでてすわる。
小屋のオヤジさんがビイルをのみながら客に語っている。元、富山県警山岳救助隊なので山の事は良く知っている。それにしてもよく喋り、よく飲む人だった。
一時間位ボーとしていると、先ほどの彼女が到着した。安堵の顔があった。

夕方、靄が消え、劔岳の頂上が見えた。はるか天空遠くちょっとだけ見えた。
モチロン、オヤジさんの満足そうな解説はアルコールも手伝って発散した。
「あれがマッチ箱といい、・・・ 大日のあの雪渓は鳳凰が羽ばたく形、云々・・・。」

・・・・・・・・・・
部屋の通路を私と反対側に寝ている人の屁がすごい。私が眠りかければブッ、一晩に十数発。ああああ、やめてくれ。眠れない。
 ただそのおかげで深夜、
 窓から夜空の星がよく見えた。
満天の星
宇宙の果てない深さだった。

早月を行く その2 鉄を喰う杉

[馬場島]
出発して一時間半で馬場島についた。そこでちょっとした驚きがあった。満車なのだ。(30台くらいだけど)
仕方なく戻って、遠くの駐車場に止める。広さは4,5倍位ある。止まっている車は3台。奥の大きな木陰になる場所にとめ、そこで朝飯。愛情弁当也。・・・・誠にありがたい。(-_-)
強い日差しのある侵入口横に止まっていた車から女性が2人出てきてリュックを担いでいる。
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離れているので格好だけでは年がわからない、しかし気になる。
「ええい!愚か者」と自らを戒め雑念を振り払わねばならなかったのは不徳のなすわざ、お恥ずかしい限り。(後で山小屋の夕食が隣になった。30代と40台くらいか。彼女達は大変な健脚だった。)
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さてと、先ずは腹ごしらえ。おにぎりをほおばりながら遠目に2人を見送った。食後の薬をのみ、車から降りれば駐車場から劔岳が白く霞んで聳えている。
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それは遠くにあって目の前の視界を覆ってしまうほどの大きさだ。(ワァァーーデカイ)それを見ながら準備して馬場島へ向かう。朝からの強い日差しに、馬場島についた時は大分汗をかいてしまった。
途中、キャンプ場のトイレで憂いを断って準備万端、登山口へ向かった。

[鉄を喰う杉]
登山口、そこは不信心な私が手を合わせてしまう場所だ。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
登山開始から30歩位ではや急な登り。準備運動なしで突然100m競争!するようなものだ。
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心臓は草刈り機のエンジンのように激しくピストンし、あっという間に汗だくになる。杉の原生林がトンネルを作ったような登山道は、じっとしていても蒸し風呂だ。

方程式;
高温×急坂×蒸し蒸し=汗噴出過多

99%急坂の早月尾根。
その始まりは何度来ても「登ることを止めて、戻ってしまおうか。」と思わせる。しかし、そこを「もう少しもう少し。」と自分に言い聞かせ、言い聞かせして歩く。
人によって違うが15分~30分位で坂はだんだんと緩んで早月小屋唯一の平坦な道となる。
 ここからしばらくの間は緩めの坂だっつたり、平たんだったりする松尾平というとこだ。
 この辺りで頑丈な体格の若者が追い越していった。
再び登りに転じ既に着ている安物衣装はびしょ濡れ状態。進んで標高1000mの道標がたつ地点は広くなって切り株があり休憩出来るようになっている。
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以前は倍以上の広さがあったが今は草や灌木が進出し、広目の登山道だ。
そこを過ぎ、まだ平坦な道沿いに立山杉の巨木があり、それにペンキで矢印が書かれている。
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しばらく進ん忘れることのないもう一本の杉巨木。
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標識を飲み込むそいつは、初めて出会った時から忘れない。「おい、元気にしてたか、又会いに来たぞ。」
前に来たときよりは標識がより深くめり込んでいたような気がする。
おい、ひとまわり大きくなったじゃないか。」

早月を行く その1 前置き

2019.7.30
去年から今年の北アルプスは最初に烏帽子岳と決めていた。長すぎた梅雨もおわり、百姓の仕事に自己都合の折り合いをつけて7.31に登ることにしたが天気がよさそうでないので翌日にした。
7.31
8.1の山小屋の予約をしようと電話すると「お盆まではいっぱいで、お泊めできない。8月後半になれば。」と言う。平日なのに溢れるくらいなのか。日は決めたのでどこにしようかと思案を巡らせ、人の超少ない早月尾根から劔岳なら平日はスカスカに違いない。
 近頃は山小屋も予約しておいたほうがよいかなと思い連絡すればあっさり「お待ち致します。」と言う。早速に
マジックで、田圃の水管理と畑のことを書き出して信頼する妻君にお願いし、認めてもらって山の準備となった。
 早月尾根は5回登り、登頂3回。雨で登れなかったことと、早月小屋でダウンしたのが1回。あまり天気がよい日はなかった。
 最後の登頂から20年近くたっているような気がする。大丈夫かな。2600mくらいでひきかえすかな。自信がない。

8.1
朝5時、出発。
 子供の時のワクワク感がよみがえる。立山インターから上市町上市町から馬場島に延びた真っ直ぐな道がブラックホールに通じる引力線のように私の車をぐんぐん吸い込んでいく。

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 前方の靄の奥に劔はある。

蜘蛛の糸

2019年7月23日
 朝、窓を開けると目の前に女郎蜘蛛?がせっせとすをつくっている。
 なかなかの腕前である。窓を開けたときは仕上げ段階に差し掛かっていて、動画で撮ろうかとカメラを取りに行って戻ったときには既に真ん中にじっとしていた。
 図面もなく、建物の形に合わせて12角形の対角線を一点で交差させてから、外側から辛抱強く自分でつくった糸を出し、一筆書でグルグルまわって作ったのだろう。

イメージ 1





 もし私が蜘蛛だったら細い紐と接着剤と他に小道具があったとして、作り上げることが出来るだろうか。平面の上なら時間をかければなるだろうが立体となるとそうはいかない。
 きっと途中で匙を投げるだろう。
 
 1僂曚匹両さな命の脳に宿る立体的才能は私をはるかに凌いでいる。



[附記]
 家の周り(内外)には9種類の蜘蛛がいて、人間に害はない。中にはゴキブリ、ハエ、ダニなどをとってくれたりするのがいる。 のだそうだ。

蜘蛛の糸

2019年7月23日
 朝、窓を開けると目の前に女郎蜘蛛?がせっせとすをつくっている。
 なかなかの腕前である。窓を開けたときは仕上げ段階に差し掛かっていて、動画で撮ろうかとカメラを取りに行って戻ったときには既に真ん中にじっとしていた。
 図面もなく、建物の形に合わせて12角形の対角線を一点で交差させてから、外側から辛抱強く自分でつくった糸を出し、一筆書でグルグルまわって作ったのだろう。

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 もし私が蜘蛛だったら細い紐と接着剤と他に小道具があったとして、作り上げることが出来るだろうか。平面の上なら時間をかければなるだろうが立体となるとそうはいかない。
 きっと途中で匙を投げるだろう。
 
 1僂曚匹両さな命の脳に宿る立体的才能は私をはるかに凌いでいる。

[附記]
 家の周り(内外)には9種類の蜘蛛がいて、人間に害はない。中にはゴキブリ、ハエ、ダニなどをとってくれたりするのがいる。 のだそうだ。