早月を行く 最終 剣岳につく

8月2日
[標高1800mへの道]
5:30の朝食は10人程度だった。既に多くの人が出かけてしまっていた。斜め向かいの人は食後は薬薬薬。 (私も薬を持ってきていた・・・・同じか)。

・・・・・老いたとて
   持病あるとて  この朝は
ヤクで治めて  あの峰に立たん
 

・・・・・発つ前に
クスリいれたか
また開けるリュック
 ・・・・

 前日の登りで水の残りが1リットルくらい。山小屋でミネラルウォーター2リットル、1本(1000円)と、アクエリアス500cc、1本(500円)を買う。
 前日の山小屋のオヤジさんの会話の中で、「山はまず水の確保最低3リットルは必要。」と言っていたのを思い出したからだ。ツンと鼻をつくのはシャツの汗臭いにおい。
 ・・・・・美女もまた
      におい気にせず
          小屋の朝  ・・・・・

 出発は6時を過ぎた。
 風はない。テント場を過ぎ、再び森の中へ入ればムッとする暑さ。20分も歩けば水をかぶったようになった。30分くらい進むと昨日の女性に追いついた。その辺りであとから出発した2人連れが追い付いてきて先行してもらう。
 1時間くらいで最初の鎖場。先の二人が帽子からヘルメットに付け替えている。
 みな穴のある登山用のヘルメットだ。私も工事現場用の保安帽(ヘルメット)を装着した。安物だ。キット蒸れる。しかし、大差ないようにも思える。寧ろ、穴のないほうが本当のヘルメットだ。
 
 この道は今回で3度目だがこの場所の記憶がない。・・・・”こんなとこあったかな?

登れば、その鎖場は短かく見た目ほどでなかった。しかし、そこは、あとから次々と現れる険しさの入口なのだ。滑落の文字がついて回る。崖が登山コースと対で緊張する場所がいくつも現れる。

イメージ 1
 途中一か所だけ小さめ雪渓を横切る。雪が落下の防護柵のようになっている。
 小屋から、この辺りまで2時間余り。坂も緩くなっているので雪渓手前で水分補給休憩とした。

イメージ 3

 眼下の池の谷からは、朝の蒸気がわき断崖に薄手のカーテンをかける。雪渓を渡れば、急坂連続。次第に雲がひき強烈な日射しとなる。暑い。(@_@)

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[最後の岩場]
イメージ 2

 標高2800m、そこ迄見えてなかった劔岳の大きい塊が目の前に現れる。
 圧倒的存在          人はその背中を這いまわるだな。
あと0.7kmの標識は普通ならスグソコという意味だが、ちょっとやそっとじや着かない。
イメージ 4


ここからはよじ登り、シガミツキ、バランスをとり、恐怖を乗り越え、休み休み進む。岩場と崖道が順次現れて前進に骨の折れる行程だ。乗り越え、乗り越え、また乗り越えたら又次の岩場があった。 何度かの落胆のあと、とうとう白い十字架(道標)が視界に入った。
イメージ 5

・・・・ やっと此処まで来たか ・・・
そこを過ぎれば「カニのタテバイ」からの登山道と合流する。しかし、目とはなの先のように見えて意外に遠くかんじる。ゴロゴロの岩道は頂上の社(やしろ)をなかなか見せてくれない。
・・・・・・・・・・・・・・・
小さな祠の横迄来たとき「着いた!」と自然に声がでた。
そこには20人位はいた。
頂上は広い。
ヘトヘトで頂上にある祠の斜め手前に座る。「着いた。」と他の人も思わず口にしている。
着いたのだ。
皆、長く緩むことのない登山道を、雑念をだき、後悔もし、時に恐怖を感じながら、「頂上へ!」の一心から、最後はそれを乗り越えて到着したのだ。

賽銭1100円をおき、祠に手を合わせると不信心な私に涙がでた。なぜかは分からない。

頂上は15分くらいいた。此処は誰でも友達になれる場所。祠の前で写真を撮ってもらう。デジカメの液晶部分に汗?のせいで画面がとても見にくかったようだったがヨレヨレ肥満爺がちゃんと写っていた。
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[下山]
頂上についたから終わりではない。下りなくてはならない。
 十字架のあたりで例の女性がいた。私の先を行く若い女性と話をしている。若いほうはカニの横ばい方面へと降りていく。私は 「一番大変なとこ抜けましたよ。」と、いい加減な挨拶をしてすれ違った。
 
 登りが険しい場所ほど降りるのは危険だ。幸い晴天で、足元がズルズルと崩れていくとか、スルッと滑る様なことは少ないだろう。しかし、ちゃんと何かを掴んでないと転落しそうな場所、足を引っかけて転倒しそうな場所、鎖、ロープにシガミツイテ下りる場所は登りで疲れ、思う様にならない。滑落事故は下りに多いのではないだろうか。標高2800m迄はそういう所だらけである。
そこでずっと写真を撮っている人がいた。
 その人と一緒に大きな劔を眺める。吸い込まれていきそうな感覚を覚えた。しばらくすると、空腹が襲って来て、山小屋の弁当を開けるといなり寿司と海苔巻き各4個。何となく小さめ?だった。後で空腹になった時の為、半分残した。しかし、長く急峻な早月の尾根。再び早月小屋に着いた時、又、水を買わねばならなかった。そこからも長くて険しい下り。残りの弁当を食べ、水を飲み、2度滑り、2度つまずき、再び襲ってくる空腹に、塩飴とポッキーを食べてしのぎ、やっと番場島へ着いた。6時を過ぎていた。
例の女性は下りられないだろう。今晩又小屋に泊まって明日下山だろうな。他生の縁というのだろうか。気になる人だった。

 いつもそうだが、最後の一時間は本当に長く感じた。駐車場へ着き、汗臭く着替えたいが、番場島の守り神オロロが車のドアを開けると飛び込んでくる。一秒でも早く退散。帰宅の途についた。
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 [あとからのつぶやき]
 1. 登山ブームだな!・・・・人と会うことがまれな早月で2、300人くらいの人にあったような気がする。道が整備され、ロープや鎖がしっかり取り付けられ、道案内もわかりやすくなった。山を好きな人が増えるのはいいのかもしれないが、都会からどっときて山が都会化する。山の”ナニカ”が冒涜されているような気がした。

 2. 山小屋のおじさんの言ってたことを思い出した。「雪の残る5月に、小屋まで来てください。この世のものと思えぬ風景が目の前にあるから。」

 3.山小屋のアンちゃんに言った。「今回が人生最後の劔だよ。」
 すると彼は「何をおっしゃいます。70代はもちろん、80過ぎた方も沢山登られますよ。まだまだ来てください。」と。気が変わるかもしれない。
 4.近頃はナントカRUNとかいうので山を走る人がいる。その練習なのか軽装であがり、山を駆けおりる。危ないじゃないか!
 5.オロロ:10日後に折立登山口から太郎山(薬師岳方面)に登った。人ごみの中下山したが、オロロはいなかった。オロロは番場島にいる。油断して、汗臭い体で休んでいるとオロロに刺されてマカッカになるから、下山したらすぐに車の中へ避難すべし。